スポンサーサイト


上記の広告は1ヶ月以上記事の更新がないブログに表示されます。
新しい記事を書くことで、こちらの広告の表示を消すことができます。  

Posted by ミリタリーブログ  at 

目が覚めると横には...

こんな美少女が居たらいいのになぁ~\(^o^)/
最近、画面の中に入れないかと試行錯誤しているカナッペですw

 さすがワイ華さんいや、五十鈴さんめちゃくちゃカワイイですよね~icon06
 ガルパン最終回を見ました。
TV版を10話で区切った理由ここにあり!!てな感じでした・・・icon22    スタッフの皆さま、本当にお疲れ様です。 2期を期待してますwww
 まさか黒森峰にマウスがあったとは・・・恐るべき最強校...




さあ本日も装備について語りますよ~♪

本日はM-43フィールドジャケット&トラウザーズについてです。
 当時のアメリカ軍は参戦に向けて、一般的な歩兵が着用するフィールドジャケットの他に、空挺部隊、機甲部隊、山岳部隊などの特殊な部隊に合わせて様々な衣料を作っていた。
しかし、戦争が本格化すると供給の問題や、ヨーロッパの気候や地形に素材や色が合わないなどの様々な問題が浮上してきた。

1942年の秋には「the M1943 experimental combat outfit」のテストを開始、フィールドトラウザーズ、サスペンダー、折り畳み式のスコップ、2バックルブーツ、ハイネックウールセーター、ジャングルパックなどを総合的に開発し、その一環として新型フィールドジャケットも開発されていた。この新型ジャケットは、歩兵だけでなく陸軍全軍が支給対象になっていた。兵科別のジャケットは廃止して、統合し、統一することで生産性を向上させ、管理を容易にできるメリットがあった。
 テストグループは4つのグループに分けられ、本土と北アフリカでテストを行いデーターを収集した。フィールドジャケットはマウンテンジャケットをベースに2つのパターンがテストされて、・AAタイプは、マウンテンジャケットのように背中にジッパー式のポケットを持ち、ポンチョやスリーピングバックが収納できた。ベルトには直接ファーストエイドやキャンティーン、バイヨネットを装着できた。またショルダーストラップを持ち、M41フィールドジャケットのようなタブで調節できる袖口だった。大型の腰ポケットは3つの手榴弾が入る容量があったが、ベルトに装備類を装着すると、ポケットは邪魔になった。・BBパターンはより丈が長めのデザインで、ベルトの代わりにM41フィールドジャケットのようなウエストバンドと調節用のボタンがウエストに取り付けられていた。袖口の調節はM-43フィールドジャケットに近いデザインだったが、未完成のため評価は悪かった。どちらも防水防風を意識したコットンポプリンを使用していた。このBBパターンがM-42テストデザインとなってM43フィールドジャケットのベースになったと考えられている。
 同時にテストされていたフィールドトラウザーズは、左右に大型のカーゴポケットを持っていたが、その形状は何度も変更され試行錯誤が繰り返された。
 ちなみに、残りの2つのグループは、従来の装備と衣類をまとった比較グループだった。
 ※「the M1943 experimental combat outfit」は第二次世界大戦中に行われたもっとも重要といえるプロジェクトで、この結果を受け、様々なアイディアがその後のアメリカ軍軍装に生かされていくことになる。

 テストの結果を受けて新型ジャケットには、すべての環境に対応するために重ね着を前提として、大きなカーゴポケットと前立てをもった防寒性・防風性が要求された。テストパターンのBBタイプに改修を加えて、最初のフィールドジャケット(Jacket,Field,M-1943{PQD 1 370})は、43年5月にスペックが付けられている。 M43フィールドジャケットの生地は、頑丈で防水性があるコットンサテンをオリーブドラブで染め上げヨーロッパ地域での迷彩効果を高めている。また大きなポケットが両胸と腰部分に計4つあり、それをフラップで止めている。 胸のパッチポケットはまちがある分、容量は大きくなる。 腰のスリットポケットは、コットン地の内張りが温かい。4ヶ所のポケットで容量は十分確保できているので、日用品を詰め込んでしまえばザック類を背負う必要が無いほどだった。
胸のパッチポケット
腰のスリットポケット

腰回りはローコードで無段階に長さを調節できる。


 衿周りはM41フィールドジャケットの流れを引き継ぎ、衿は開襟でも閉じても、あるいは衿を立てて前たてで閉じれば、外気の侵入をシャットアウトすることができた。未使用時にはボタンで止められる。袖口は二つのボタンで調節でき、温度調節や運動性に優れていた。


大きな特徴は、「重ね着」の考え方が取り入れられていることで、敢えてコットンポプリンのライニングにしたことで、保温性の高いパイルの裏地を持つインナージャケットを別に着込めば広い範囲の温度帯に対応できた。そのためジャケットのサイズは少し大きめに作られている。
既に採用されていたパーカ類では、アウターとシェルの組み合わせで温度変化に対応するシステムは存在していたが、M-43フィールドジャケットはその後の軍隊の衣料そのものを大きく変えてしまうほどのインパクトがあった。また、現在のアウトドア衣料の基本になっているレーヤードの考え方は、この時に完成したといっても過言ではない。
 M-43フィールドジャケットの導入に伴いトラウザーズも同様の「Trousers,field,cotton,OD」(PQD371)を導入しているが、それ以外のウールパンツ(マスタードパンツ)や、HBTパンツを着用している兵士も多い。 合わせて装備類も明るいカーキ色から濃いオリーブドラブに変更されている。 ブーツも2つのバックルで止める(ブーツとレギンスが一体化した)ブーツに変更になり、アメリカ兵のいでたちを変化させた。
 



 M-43フィールドジャケットには、5つのバリエーションと、1つの派生型がある。
 M-43フィールドジャケットは、44年1月のアンツィオ上陸の第三歩兵師団、サンマルコ山攻撃時の第一特殊作戦部隊で実戦使用され、その後数度にわたって改修を受け順次採用が開始されていった。空挺部隊などの特殊部隊から優先的に支給が始まったものの、全軍に行きわたるに時間がかかったようだ。
 一般的に出回っているM-43フィールドジャケットは、初期の改修を受けた370B以降のモデルの可能性が高い。1番最初の43年5月「PQD 1 370」、2番目の「370-A」、以降43年7月「370-B」、43年10月「370-C」、44年2月「370-D」、44年8月「370-E」と変更が加えられていった。レアな物としては、43年9月に指定を受けた「397」は370Aと同型で、M41と同じポプリン製のシェルとウールライトニングを使用していた。 これは余剰にストックしていた素材を消費するために生産された限定モデルで、44年の春までに少量生産されているようだ。
 残念ながら「PQD 1 370」がどんなモデルだったのか明確な資料は無いが、限りなくM42テストデザインに近いディテールを持っていたと考えられる。
衿の裏にはM41フィールドジャケットのようなタブが付いていた。「370-A」は襟裏のタブの位置が低くなり、袖の処理が変更されていて、2種類の長さ(レギュラー・ロング)の13サイズが用意された。「370-B」は襟を閉じるタブの形を前建に変更し、厚みのあるボタンに変更、台形の前建てを使用しないときに止めるボタン1つを省略。襟もとのループの形状変更、サイズを(ショート・レギュラー・ロング)を使う18サイズに変更。
「370-D」は、「How to use」がタグかプリントで明記された。「370-E」では、胸ポケットがより大きく、「How to use」んい図が加えられ、サイズタグが襟もとに付けられた。

M-43トラウザーズ(空挺使用):M42ジャンプトラウザーズのように、空挺は支給されたばかりのトラウザーズにも大きなカーゴポケットを取り付けて使用していた。



 不備があればご指摘お願いします。
指摘をいただいて勉強することもあると思うので。。。


次回はウエポンを紹介していきますね♪

それではまたicon23  


2013年03月28日 Posted by カナッペ  at 02:33Comments(0)装備

なっ、そんなこと///

更新のペースが、更新するたんびに落ちていってるな~と思い始めているカナッペです・・・(;一_一)

「うぽって!!」から


銃だもんね、ふんこは。
だけどふんことこんなことを・・・///
羨ましい!!

この間は、ヘルメットについて書きましたんで、今回はフィールドジャケット&パンツについて書きますね♪

 以前紹介したように、40年代に初めての実験小隊が誕生し、アメリカ軍初の空挺部隊となった第82空挺師団(オールアメリカン)が1943年3月に誕生した。以降陸軍は、第101空挺師団(スクリーミングイーグル)1942年8月、第11空挺師団(エンジェル)1943年2月、第17空挺師団(ゴールデンタロン)1943年4月、第13空挺師団(ユニコーン)1943年8月と4つの空挺師団を誕生させたのです。
既に、ドイツ軍は空挺部隊による輝かしい戦果を得ていて、イギリス軍も41年に第1空挺師団が設立されてた中、アメリカの空挺師団の構想が遅れていた原因は以前書いたので、割愛♥
そんな空挺師団構想が少しずつ進む中で、空挺部隊のための特別な服装(ジャケット、パンツ)も考案されていました。
当初、訓練で使用していたワンピースからヒントを得たとか、陸軍航空整備員着用のカヴァーオールからヒントをえたとかでジャンプスーツ型の戦闘服が考案されましたが、訓練で使用されただけにとどまってしまい、実戦で使用された記録は見当たりません...ちなみに、フロントジッパーで開閉ができるシルク製のワンピースで、防水性&防風性を持たせて、斜めに付いた胸ポケットや腰、大腿部分など、随所にポケットが設けられていました。


[Cort Parachute Jumper,M1941]の参考写真です。↑
 41年、第501パラシュート歩兵連隊のヤーボロウ大尉(※本名:ウイリアム・P・ヤーボロー。空挺章やジャンプジャケットのデザインは、彼によるものである。戦後に設立した特殊部隊訓練センターの初代司令官で、陸軍中将で1971年に退役した。ちなみに、降下記章のデザインは陸軍の紋章局で作られていたが、戦闘部隊として初名乗りを上げた第501大隊の隊長ウィリアム・W・マイリー少佐は紋章局のデザインが気に食わなかったので、部下のヤーボロー中尉(当時)に降下記章のデザインの作成を命令する。出来上がったデザインは落下傘の主傘を囲むような感じを抱かせる力強い雄鷲の両翼だった。デザインを気に入った隊長は紋章局に直ちに350個の降下記章を作らせたというwww)はジャンプスーツ型を進化させ、コットン生地を使用した2ピースの[Cort Parachute Jumper,M1941]をデザインしました。4つの大きなパッチポケットが特徴で、胸ポケットは物が取り出しやすいように斜めに取り付けられています。どのポケットにも斜めにカットされたフラップが付いており、1つのドットボタンで止められるようになっています。フロントは3/4程の長さのジッパーで閉じられ、同素材で、左右のカーゴポケットは大きめのフラップで閉じられました。ただし、こちらはドットボタンが2つ使用されました。裾の部分はブーツが履きやすいように先端部分が細くなっていて、ジッパーで開閉できるようになっています。
使いにくいであろうパッチポケットや不自然な形状のフラップ、脇腹部分まで縫いこまれた布製のベルトに調整できないドットボタンなどかなりなぞな部分が多いジャケットで、全体的に未完成と感じ取れる箇所があり、テストサンプル的な物だと思います。

そんなこんながありまして、ついに完成しました!!

正式名称:
ジャケット「Cort Parachute Jumper(PQD 114)」    
パンツ「Trousers Parachute Jumper(PQD  113)
一般的には、「M42ジャンプジャケット」や「エアボーンジャケット」、「パラトルーパージャケット」って呼ばれてますね。
空挺好きなら誰でも知ってるこのなじみの深いM42ジャケットですが、初期のジャンプジャケットと区別するためにM‐42と呼ばれていたみたいです。
 降下の邪魔にならないようにシルエットはスリムにできていて、フロントジッパーで開閉でき、背中の部分には、動きやすいように大きなプリーツが3カ所入っています。上半身に比べるとタイトなウエスト部分は、同素材のベルトで形式的に縮められるようにデザインされていますが、切り取られているケースが多いです。
 斜めにカットされたプリーツの付いた4つの大容量ポケットはドットボタンで閉じられて、収納量に応じてフラップを留める位置が調節できるようにドットボタンの凸側が2列に配置されています。 フロントの襟元の部分には隠しポケットが作られ、M2ナイフが収納されるようになっています。このナイフはパラシュートが木に引っかかった際に、サスペンションラインを切りやすいようにボタン1つでブレードが飛び出すスイッチブレードタイプになっています。
 素材はコットン生地で、染色の違いからかグリーンがかったカーキと、イエローがかったカーキが見られます。 また製造年やメーカーの小さな差異としては、脇の下のベントホールには、金具グロメットのタイプと糸でかがったタイプがある他、ドットボタンの素材やジッパーベルトのバックルにもバリエ―ションが存在します。
 トラウザーズは余裕のあるシュルエットに、大型のカーゴポケットが左右の大腿部分に付けられ、左右とヒップ、ウォッチポケットの計5カ所にポケットがあります。 裾はジャンプブーツにたくし込んで着用するために先端が絞り込んであります。 初期のモデルは、裾に三角形のゴムが付いていて足首をフィットさせていました。(量産段階になると省略された)
 空挺部隊の隊員は、実戦降下の際には大量の弾薬や衣料品、食料、日用品、衣料品などをポケットに詰め込んで行動しなければなりません。 その重量のために輸送機に乗り込む際に自分の力だけではタラップを登れなかったほどです... ポケットいっぱいに詰め込んで戦う様は「バギーパンツを履いた悪魔」と敵のドイツ兵から呼ばれ、恐れられていました。
 ところが何度かの実戦で、ジャンプジャケットの弱点が明らかになりました。生地が弱く肘や膝などがすぐに擦り切れてしまい、ポケットがその重量に耐えられきれずに破損してしまうことでした。(パスファインダーチームの編成で呼び寄せられた、実戦経験のある第504連隊の隊員達が伝えたのかもしれない。)空挺隊員のジャケットとトラウザーズは回収され、モディファイ(改修作業)が行われました。 その概要は、ジャケットには肘あてと腰のポケットの外周への補強、トラウザーズには同じくカーゴポケットの補強と膝当て、カーゴポケットを抑えるストラップが追加されました。 使われた素材は、目の粗いキャンバス地で湿り気があり、(1説では防水加工が施された素材(航空隊の酸素ボンベのカバーの素材))が使われたといわれています。 推測の域を出ないが、基地の倉庫にこの素材が大量にあったのだろう。
 モディファイは大まかな点で両師団とも共通だが、比較してみると僅かながら差が見られます。第82空挺師団のタイプはストラップも同じ素材で作られているのに対して、第101空挺師団のタイプは装備品のベルトを流用しています。
 強度の問題は一例にすぎませんが、防水性、防寒性、素材、色など、実戦を経験することでM‐42ジャンプジャケットの問題点が浮き彫りにされて、他の衣料と合わせて新型のフィールドジャケットの必要性は高まっていったのでしょう。 こうしてD-Day直前に、南フランスでの空挺作戦に使用されたのを最後に回収され、新型のM‐43フィールドジャケットに変わっていくのです。



自分のM42ジャンプジャケットすべて第101空挺師団使用(気がつけば4着…)








このタイプがモディファイされる前のタイプです。
肩には手書きで階級(四等特技兵(軍曹より下、伍長より上に相当する階級))を書いています。SESSLER MFG製




こちらもモディファイされる前のタイプで、迷彩っぽくしています。ヒューストン製
(当時はガスを探知すると色の変わる薬剤の入った塗料を使っていましたが、そんなものはないのでそれっぽい色のスプレイで代用)




これがモディファイ後のタイプです。
あらためて見ると、主にこれをサバ下などで使っているので汚れや色落ちが激しいですね(-_-;)




こちらもモディファイ後のタイプです。   S&Graf製
肩には追加のポケットが付いています。



 ※記事に書いてあることについて、不備などございましたらご遠慮なく書き込んでください。 m(__)m  


2013年03月13日 Posted by カナッペ  at 06:39Comments(2)装備

やべえぇ~膨らんできた///

最近、春休みに入って生活リズムが狂い始めて、少しずつお腹周りお肉が付いてきているカナッペです。
今回から空挺装備について書いていきます。


まずはヘルメットから♪


トンプソン先生♥ ///

ギリギリおKだよね...

それではスタート!!(^^)v


 1941年4月、陸軍は空挺用のヘルメットの配備を構想し、テスト段階にあったTS3ヘルメット(後のM1ヘルメット)をベースに空挺用に改良を加えたヘルメットセットを最初の試作品としています。ジョージア州のフォートベニングでは、この試作品の完成に至るまでさまざまな空挺用にするテストがTS3ヘルメットを用いて行われました。
そのテストの結果、スタンダードなヘルメットは空挺が降下動作に入ったときや、降下時に体が逆になったとき、またパラシュートが開いたときに脱げ落ちてしまう事があり、(ライナー・シェルが分離しやすいということもあり・・・)空挺用には不向きであると結論づけられてしまいました。これらの問題を改善するために、クオーターマスターコープスの研究開発部門は、他部門及び、民間メーカーと共にM1ヘルメットを空挺使用にするために、必要とされる改良の研究に取り組みました。

 研究の成果あって、空挺によって採用された改良後のM1ヘルメットは、スチールシェル(外帽)のチンストラップループにボタン付きのチンストラップ(ウェブチンストラップ)が取り付けられ、ライナーに付加されたボタンとの連結によって、ライナーとシェルが降下中に外れない程度の固定性を実現しました。またライナーには、バックル付のカーキコットンウェブ(Aストラップ)も付けられ、(裏地の付いた)セーム革で生造されたチンカップとの連結により、着用者への固定性能をも高めました。

ウェブチンストラップ(ライナーとシェルを止めるボタンが付いています。)

カーキコットンウェブ(Aストラップ)


チンカップ 表




M2ヘルメット
 
 1942年1月に最初の発注がなされた、このヘルメットは、1942年6月にM2という呼称が与えられました。M2ヘルメットの仕様書には、スタンダードループの代わりにDベイルチンストラップループを使うことが記述されています。このループの使用により
ウェブチンストラップをシェルの後部で固定することが簡単になりました。後の43年春から夏ごろにエアボーンコマンドコープスは、スタンダードループでも充分に使用に耐えれる事が分かり、もはやDベイルチンストラップループは必要ないと宣言しました。同年10月には、スタンダードM1ヘルメットと同様にスイベルベイルチンストラップループに変更されました。

Dベイルチンストラップループバージョン


スイベルベイルチンストラップループバージョン



M1Cヘルメット

 1945年1月、これまでの空挺用ヘルメットの集大成とも言える、M1C(空挺ヘルメット)が陸軍によって標準化され、同年8月までの間に米陸軍は、392,000個のM1Cを調達しています。
M1Cの特徴は、AストラップがODシェード7になり、鋳型のバックルが用いられ、シェルのウェブチンストラップもODシェード7となった点、そしてシェルの「フチ」がマンガンスチールに変更された点です。

「フチ」を正面真ん中でとめ合わせたフロントシーム


・ヘルメットシェル(外帽)とヘルメットライナー(内帽)の生産について~

 1942年1月~1944年12月までの間に、およそ148,000のスタンダードヘルメットシェルがマッコードラジエターアンドマニファクチャリングカンパニーの在庫から空挺使用にするために分けられて、同社によって空挺仕様へと改良がなされました。 空挺用ヘルメットライナーも同様に在庫品を空挺用に改良したものをM1パラシューティストヘルメットライナーと呼称した。1942年1月~同年秋までの間、ハウレイプロダクツ社製のファイバー(ペーパー)ライナーが43,000個、またインランドマニファクチャリングデビジョン製のプラスティックライナーが75000個、同じく1942年秋のうちに、どちらもマッコードラジエター社によって空挺仕様に改良されました。1943年9月~1944年春までの間、ウエスティングハウス社によって、製造及び改良されたプラスチックライナーが供給されM1パラシューティストヘルメットライナーの最終生産ロッドが完了した。また、このロッドの終盤においてセーム革製のチンカップは、生産コストの引き下げを目的としてウェブチンカップに変更されており、およそ40,000個が製造されました。

パラシューティストヘルメットライナーとシェル(シェルの側面にはスペード♠のマークを付けていて、これは506連帯を表します。)


M2とM1Cの比較(前)...見た目では違いが分かりません。(-_-;)


(後ろ)右側のヘルメットには、下士官のマーキングを施しています。


ライナーの内側


※ネット上の情報を自分なりに書いただけなので、どこかで見たことがあると思いますが、生温かい目で見守ってください。  


2013年03月05日 Posted by カナッペ  at 01:54Comments(0)装備

QRコード
QRCODE
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 3人
プロフィール
カナッペ
カナッペ
 福岡を拠点に〈〈WWII world〉〉を展開しているカナッペです。
WWII装備に興味のある方、やっている方、やろうと思っている方、ぜひ仲良くしましょう♪
人数がそろえば、ヒストリカル的なモノをしようと計画中だったり・・・