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なっ、そんなこと///
更新のペースが、更新するたんびに落ちていってるな~と思い始めているカナッペです・・・(;一_一)
「うぽって!!」から

銃だもんね、ふんこは。
だけどふんことこんなことを・・・///
羨ましい!!
この間は、ヘルメットについて書きましたんで、今回はフィールドジャケット&パンツについて書きますね♪
以前紹介したように、40年代に初めての実験小隊が誕生し、アメリカ軍初の空挺部隊となった第82空挺師団(オールアメリカン)が1943年3月に誕生した。以降陸軍は、第101空挺師団(スクリーミングイーグル)1942年8月、第11空挺師団(エンジェル)1943年2月、第17空挺師団(ゴールデンタロン)1943年4月、第13空挺師団(ユニコーン)1943年8月と4つの空挺師団を誕生させたのです。
既に、ドイツ軍は空挺部隊による輝かしい戦果を得ていて、イギリス軍も41年に第1空挺師団が設立されてた中、アメリカの空挺師団の構想が遅れていた原因は以前書いたので、割愛♥
そんな空挺師団構想が少しずつ進む中で、空挺部隊のための特別な服装(ジャケット、パンツ)も考案されていました。
当初、訓練で使用していたワンピースからヒントを得たとか、陸軍航空整備員着用のカヴァーオールからヒントをえたとかでジャンプスーツ型の戦闘服が考案されましたが、訓練で使用されただけにとどまってしまい、実戦で使用された記録は見当たりません...ちなみに、フロントジッパーで開閉ができるシルク製のワンピースで、防水性&防風性を持たせて、斜めに付いた胸ポケットや腰、大腿部分など、随所にポケットが設けられていました。

[Cort Parachute Jumper,M1941]の参考写真です。↑
41年、第501パラシュート歩兵連隊のヤーボロウ大尉(※本名:ウイリアム・P・ヤーボロー。空挺章やジャンプジャケットのデザインは、彼によるものである。戦後に設立した特殊部隊訓練センターの初代司令官で、陸軍中将で1971年に退役した。ちなみに、降下記章のデザインは陸軍の紋章局で作られていたが、戦闘部隊として初名乗りを上げた第501大隊の隊長ウィリアム・W・マイリー少佐は紋章局のデザインが気に食わなかったので、部下のヤーボロー中尉(当時)に降下記章のデザインの作成を命令する。出来上がったデザインは落下傘の主傘を囲むような感じを抱かせる力強い雄鷲の両翼だった。デザインを気に入った隊長は紋章局に直ちに350個の降下記章を作らせたというwww)はジャンプスーツ型を進化させ、コットン生地を使用した2ピースの[Cort Parachute Jumper,M1941]をデザインしました。4つの大きなパッチポケットが特徴で、胸ポケットは物が取り出しやすいように斜めに取り付けられています。どのポケットにも斜めにカットされたフラップが付いており、1つのドットボタンで止められるようになっています。フロントは3/4程の長さのジッパーで閉じられ、同素材で、左右のカーゴポケットは大きめのフラップで閉じられました。ただし、こちらはドットボタンが2つ使用されました。裾の部分はブーツが履きやすいように先端部分が細くなっていて、ジッパーで開閉できるようになっています。
使いにくいであろうパッチポケットや不自然な形状のフラップ、脇腹部分まで縫いこまれた布製のベルトに調整できないドットボタンなどかなりなぞな部分が多いジャケットで、全体的に未完成と感じ取れる箇所があり、テストサンプル的な物だと思います。
そんなこんながありまして、ついに完成しました!!
正式名称:
ジャケット「Cort Parachute Jumper(PQD 114)」
パンツ「Trousers Parachute Jumper(PQD 113)」
一般的には、「M42ジャンプジャケット」や「エアボーンジャケット」、「パラトルーパージャケット」って呼ばれてますね。
空挺好きなら誰でも知ってるこのなじみの深いM42ジャケットですが、初期のジャンプジャケットと区別するためにM‐42と呼ばれていたみたいです。
降下の邪魔にならないようにシルエットはスリムにできていて、フロントジッパーで開閉でき、背中の部分には、動きやすいように大きなプリーツが3カ所入っています。上半身に比べるとタイトなウエスト部分は、同素材のベルトで形式的に縮められるようにデザインされていますが、切り取られているケースが多いです。
斜めにカットされたプリーツの付いた4つの大容量ポケットはドットボタンで閉じられて、収納量に応じてフラップを留める位置が調節できるようにドットボタンの凸側が2列に配置されています。 フロントの襟元の部分には隠しポケットが作られ、M2ナイフが収納されるようになっています。このナイフはパラシュートが木に引っかかった際に、サスペンションラインを切りやすいようにボタン1つでブレードが飛び出すスイッチブレードタイプになっています。
素材はコットン生地で、染色の違いからかグリーンがかったカーキと、イエローがかったカーキが見られます。 また製造年やメーカーの小さな差異としては、脇の下のベントホールには、金具グロメットのタイプと糸でかがったタイプがある他、ドットボタンの素材やジッパーベルトのバックルにもバリエ―ションが存在します。
トラウザーズは余裕のあるシュルエットに、大型のカーゴポケットが左右の大腿部分に付けられ、左右とヒップ、ウォッチポケットの計5カ所にポケットがあります。 裾はジャンプブーツにたくし込んで着用するために先端が絞り込んであります。 初期のモデルは、裾に三角形のゴムが付いていて足首をフィットさせていました。(量産段階になると省略された)
空挺部隊の隊員は、実戦降下の際には大量の弾薬や衣料品、食料、日用品、衣料品などをポケットに詰め込んで行動しなければなりません。 その重量のために輸送機に乗り込む際に自分の力だけではタラップを登れなかったほどです... ポケットいっぱいに詰め込んで戦う様は「バギーパンツを履いた悪魔」と敵のドイツ兵から呼ばれ、恐れられていました。
ところが何度かの実戦で、ジャンプジャケットの弱点が明らかになりました。生地が弱く肘や膝などがすぐに擦り切れてしまい、ポケットがその重量に耐えられきれずに破損してしまうことでした。(パスファインダーチームの編成で呼び寄せられた、実戦経験のある第504連隊の隊員達が伝えたのかもしれない。)空挺隊員のジャケットとトラウザーズは回収され、モディファイ(改修作業)が行われました。 その概要は、ジャケットには肘あてと腰のポケットの外周への補強、トラウザーズには同じくカーゴポケットの補強と膝当て、カーゴポケットを抑えるストラップが追加されました。 使われた素材は、目の粗いキャンバス地で湿り気があり、(1説では防水加工が施された素材(航空隊の酸素ボンベのカバーの素材))が使われたといわれています。 推測の域を出ないが、基地の倉庫にこの素材が大量にあったのだろう。
モディファイは大まかな点で両師団とも共通だが、比較してみると僅かながら差が見られます。第82空挺師団のタイプはストラップも同じ素材で作られているのに対して、第101空挺師団のタイプは装備品のベルトを流用しています。
強度の問題は一例にすぎませんが、防水性、防寒性、素材、色など、実戦を経験することでM‐42ジャンプジャケットの問題点が浮き彫りにされて、他の衣料と合わせて新型のフィールドジャケットの必要性は高まっていったのでしょう。 こうしてD-Day直前に、南フランスでの空挺作戦に使用されたのを最後に回収され、新型のM‐43フィールドジャケットに変わっていくのです。

自分のM42ジャンプジャケットすべて第101空挺師団使用(気がつけば4着…)

このタイプがモディファイされる前のタイプです。
肩には手書きで階級(四等特技兵(軍曹より下、伍長より上に相当する階級))を書いています。SESSLER MFG製


こちらもモディファイされる前のタイプで、迷彩っぽくしています。ヒューストン製
(当時はガスを探知すると色の変わる薬剤の入った塗料を使っていましたが、そんなものはないのでそれっぽい色のスプレイで代用)


これがモディファイ後のタイプです。
あらためて見ると、主にこれをサバ下などで使っているので汚れや色落ちが激しいですね(-_-;)


こちらもモディファイ後のタイプです。 S&Graf製
肩には追加のポケットが付いています。
※記事に書いてあることについて、不備などございましたらご遠慮なく書き込んでください。 m(__)m
「うぽって!!」から

銃だもんね、ふんこは。
だけどふんことこんなことを・・・///
この間は、ヘルメットについて書きましたんで、今回はフィールドジャケット&パンツについて書きますね♪
以前紹介したように、40年代に初めての実験小隊が誕生し、アメリカ軍初の空挺部隊となった第82空挺師団(オールアメリカン)が1943年3月に誕生した。以降陸軍は、第101空挺師団(スクリーミングイーグル)1942年8月、第11空挺師団(エンジェル)1943年2月、第17空挺師団(ゴールデンタロン)1943年4月、第13空挺師団(ユニコーン)1943年8月と4つの空挺師団を誕生させたのです。
既に、ドイツ軍は空挺部隊による輝かしい戦果を得ていて、イギリス軍も41年に第1空挺師団が設立されてた中、アメリカの空挺師団の構想が遅れていた原因は以前書いたので、割愛♥
そんな空挺師団構想が少しずつ進む中で、空挺部隊のための特別な服装(ジャケット、パンツ)も考案されていました。
当初、訓練で使用していたワンピースからヒントを得たとか、陸軍航空整備員着用のカヴァーオールからヒントをえたとかでジャンプスーツ型の戦闘服が考案されましたが、訓練で使用されただけにとどまってしまい、実戦で使用された記録は見当たりません...ちなみに、フロントジッパーで開閉ができるシルク製のワンピースで、防水性&防風性を持たせて、斜めに付いた胸ポケットや腰、大腿部分など、随所にポケットが設けられていました。

[Cort Parachute Jumper,M1941]の参考写真です。↑
41年、第501パラシュート歩兵連隊のヤーボロウ大尉(※本名:ウイリアム・P・ヤーボロー。空挺章やジャンプジャケットのデザインは、彼によるものである。戦後に設立した特殊部隊訓練センターの初代司令官で、陸軍中将で1971年に退役した。ちなみに、降下記章のデザインは陸軍の紋章局で作られていたが、戦闘部隊として初名乗りを上げた第501大隊の隊長ウィリアム・W・マイリー少佐は紋章局のデザインが気に食わなかったので、部下のヤーボロー中尉(当時)に降下記章のデザインの作成を命令する。出来上がったデザインは落下傘の主傘を囲むような感じを抱かせる力強い雄鷲の両翼だった。デザインを気に入った隊長は紋章局に直ちに350個の降下記章を作らせたというwww)はジャンプスーツ型を進化させ、コットン生地を使用した2ピースの[Cort Parachute Jumper,M1941]をデザインしました。4つの大きなパッチポケットが特徴で、胸ポケットは物が取り出しやすいように斜めに取り付けられています。どのポケットにも斜めにカットされたフラップが付いており、1つのドットボタンで止められるようになっています。フロントは3/4程の長さのジッパーで閉じられ、同素材で、左右のカーゴポケットは大きめのフラップで閉じられました。ただし、こちらはドットボタンが2つ使用されました。裾の部分はブーツが履きやすいように先端部分が細くなっていて、ジッパーで開閉できるようになっています。
使いにくいであろうパッチポケットや不自然な形状のフラップ、脇腹部分まで縫いこまれた布製のベルトに調整できないドットボタンなどかなりなぞな部分が多いジャケットで、全体的に未完成と感じ取れる箇所があり、テストサンプル的な物だと思います。
そんなこんながありまして、ついに完成しました!!
正式名称:
ジャケット「Cort Parachute Jumper(PQD 114)」
パンツ「Trousers Parachute Jumper(PQD 113)」
一般的には、「M42ジャンプジャケット」や「エアボーンジャケット」、「パラトルーパージャケット」って呼ばれてますね。
空挺好きなら誰でも知ってるこのなじみの深いM42ジャケットですが、初期のジャンプジャケットと区別するためにM‐42と呼ばれていたみたいです。
降下の邪魔にならないようにシルエットはスリムにできていて、フロントジッパーで開閉でき、背中の部分には、動きやすいように大きなプリーツが3カ所入っています。上半身に比べるとタイトなウエスト部分は、同素材のベルトで形式的に縮められるようにデザインされていますが、切り取られているケースが多いです。
斜めにカットされたプリーツの付いた4つの大容量ポケットはドットボタンで閉じられて、収納量に応じてフラップを留める位置が調節できるようにドットボタンの凸側が2列に配置されています。 フロントの襟元の部分には隠しポケットが作られ、M2ナイフが収納されるようになっています。このナイフはパラシュートが木に引っかかった際に、サスペンションラインを切りやすいようにボタン1つでブレードが飛び出すスイッチブレードタイプになっています。
素材はコットン生地で、染色の違いからかグリーンがかったカーキと、イエローがかったカーキが見られます。 また製造年やメーカーの小さな差異としては、脇の下のベントホールには、金具グロメットのタイプと糸でかがったタイプがある他、ドットボタンの素材やジッパーベルトのバックルにもバリエ―ションが存在します。
トラウザーズは余裕のあるシュルエットに、大型のカーゴポケットが左右の大腿部分に付けられ、左右とヒップ、ウォッチポケットの計5カ所にポケットがあります。 裾はジャンプブーツにたくし込んで着用するために先端が絞り込んであります。 初期のモデルは、裾に三角形のゴムが付いていて足首をフィットさせていました。(量産段階になると省略された)
空挺部隊の隊員は、実戦降下の際には大量の弾薬や衣料品、食料、日用品、衣料品などをポケットに詰め込んで行動しなければなりません。 その重量のために輸送機に乗り込む際に自分の力だけではタラップを登れなかったほどです... ポケットいっぱいに詰め込んで戦う様は「バギーパンツを履いた悪魔」と敵のドイツ兵から呼ばれ、恐れられていました。
ところが何度かの実戦で、ジャンプジャケットの弱点が明らかになりました。生地が弱く肘や膝などがすぐに擦り切れてしまい、ポケットがその重量に耐えられきれずに破損してしまうことでした。(パスファインダーチームの編成で呼び寄せられた、実戦経験のある第504連隊の隊員達が伝えたのかもしれない。)空挺隊員のジャケットとトラウザーズは回収され、モディファイ(改修作業)が行われました。 その概要は、ジャケットには肘あてと腰のポケットの外周への補強、トラウザーズには同じくカーゴポケットの補強と膝当て、カーゴポケットを抑えるストラップが追加されました。 使われた素材は、目の粗いキャンバス地で湿り気があり、(1説では防水加工が施された素材(航空隊の酸素ボンベのカバーの素材))が使われたといわれています。 推測の域を出ないが、基地の倉庫にこの素材が大量にあったのだろう。
モディファイは大まかな点で両師団とも共通だが、比較してみると僅かながら差が見られます。第82空挺師団のタイプはストラップも同じ素材で作られているのに対して、第101空挺師団のタイプは装備品のベルトを流用しています。
強度の問題は一例にすぎませんが、防水性、防寒性、素材、色など、実戦を経験することでM‐42ジャンプジャケットの問題点が浮き彫りにされて、他の衣料と合わせて新型のフィールドジャケットの必要性は高まっていったのでしょう。 こうしてD-Day直前に、南フランスでの空挺作戦に使用されたのを最後に回収され、新型のM‐43フィールドジャケットに変わっていくのです。

自分のM42ジャンプジャケットすべて第101空挺師団使用(気がつけば4着…)

このタイプがモディファイされる前のタイプです。
肩には手書きで階級(四等特技兵(軍曹より下、伍長より上に相当する階級))を書いています。SESSLER MFG製


こちらもモディファイされる前のタイプで、迷彩っぽくしています。ヒューストン製
(当時はガスを探知すると色の変わる薬剤の入った塗料を使っていましたが、そんなものはないのでそれっぽい色のスプレイで代用)


これがモディファイ後のタイプです。
あらためて見ると、主にこれをサバ下などで使っているので汚れや色落ちが激しいですね(-_-;)


こちらもモディファイ後のタイプです。 S&Graf製
肩には追加のポケットが付いています。
※記事に書いてあることについて、不備などございましたらご遠慮なく書き込んでください。 m(__)m