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Posted by ミリタリーブログ  at 

そろそろナムな季節です・・・

どうもカナッペです。


今回は また ナムナムの装備紹介をしますw

まだあるのかって?


もちろんです!





その前に今日スーパーで見つけたビンのバドワイザーとハイネケンをパシャリ!



缶よりかっこいいですね‼


さて、本題に。。。。







下着ですねw

見えないところまでする意味があるのかは置いといて、自分が着れるサイズを購入しました 










アンダーウェアーは二枚
サイズは4と12ですが、12を着るとパチパチですw
12は着たくないので洗濯物や予備の下着としてライトウエイトに詰めるだけのただのアイテムになってますw
4は普段から使ってます 
両方とも生地が薄いです・・・こんなもんなんですかね?










パンツです
したが表
上が裏の画像です。
区別がつきにくいですw



このように三枚のパンツが袋に入っています
一応未開封です
パンツはすべて同じサイズです 
パンツは開封が4枚未開封の三枚セットが一つありますw
なんでいっぱいあるんでしょうね?
正直、私も疑問です。。。




最後はソックス
ブーツを履くときにこいつがないとかなり足が痛くなりますw
私にとっては必需品です‼


ざっとこんなもんですかね?
歯ブラシとかも当時のが欲しいな~  


2015年04月13日 Posted by カナッペ  at 00:53Comments(1)装備米軍

間違えましたwww

 はい。
思いっきり未完成なブログを UP してしまいましたw
「エンターキー」を押したらいきなり書きかけの記事が投稿されてびっくりしましたw
         (ー△ー;)エッ、マジ?!!!

ってなりました・・・



 改めてここから書き始めますね~
面倒なのでw


 ナチス装備は当初はそろえる予定がなく、買うつもりも全然ありませんでしたが、WWII 米軍装備を集めるうちに、
「ナチスの品を戦利品として少々持ってた方がかっこいいのでは?」
という謎めいた考えが湧いてきまして・・・・

ルガー国防軍のツェルトヴァーンに手を出してしまったわけですよ   (´-ω-`;)ゞポリポリ

すると
「あれ、ナチスの国防軍かっこいいんじゃない?///
と思いはじめて一か月後・・・
東京で研修があった際に運よく?「ブラックホール」が開催されていたので足を運びました。


するとそこには カンプ・バタリオン! があるではありませんか⁉

「神は言っている。 ここで買う定めだと・・」


とのお告げが聞こえ、財布を見ると金銭的にギリギリ・・・・
しかし、
「大丈夫だ、 問題ない」

と更なるお告げが聞こえたような気がしたので、思わず

「一番いいのを頼む」


と言ってしまいましたw

ただ、その日は小柄な自分の体形に合うサイズがなく、後日カンプ・バタリオン!さんのお店で採寸することにw

ここまで来ては後には戻れませんw


ノリと勢いで買ってしまいました。  (;ω; ))オロオロ (( ;ω;)オロオロ

 ナチス装備はまだまだ勉強中でわからないことだらけですので、これからじっくりと勉強していきます 




 まぁそんなわけで装備紹介です
前置きが長いw


M35 ヘルメット(スタールヘルム)

鉄製 
まだ一度も使用していませんw


M38 野戦帽(フェルトミュッツェ)



M36 野戦服(フェルドブルゼ)

初期の方がしたかったのと、カッコよさで1936年型を選択。
採寸してもらったので自分にぴったりなサイズです 


M44 野戦服 スプリンター迷彩

これはヤフオクで購入。
サイズ間はぴったりなんですが、どこのレプリカなんでしょう?


プルオーバーシャツ

一度洗濯したらよれよれにw


M36 野戦ズボン(フェルドホーゼ)

こちらも自分サイズですw


ベルト&バックル

国防軍のバックルですね
”GOTT MIT UNS” (神は我と共にあり)と書かれているようです。


腰回り 

98kアモポーチ

写真を撮るために押入れから出したら片方が白く・・・・
カビです‼

皆さんも装備の取り扱いには注意しましょうw


パン袋、水筒、飯盒

このように一まとめにできます

分解

飯盒は三つに分解できます。
日本の飯盒の様な使用はせず、食器として使用していたようですね

水筒は見ての通りですw

米軍のものに比べ、皮やアルミを使ったものが多いと感じましたね
後は装備同士がぶつかって音が鳴りやすいなどなど・・


サスペンダー

ベルトに引っ掛けるだけの簡単な作りです。

ツェルトヴァーン スプリンター迷彩

全てはここから始まったんですw
こいつを買わなければ二十万ぐらい使わずに済んだのに・・・


アンクルブーツ

ナチスのイメージはこのブーツが強いですね
これは中田商店のですがカンプさんのも持ってます。

メインウエポンの Kar 98k

これがないとはじまりませんw
これは98kにV-10を組み込んだもので、ずいぶん前にヤフオクにて購入。
その後、ホコリを被っていましたw


保管中に運悪く、ここが破損・・・   ヾ(・_・;)チョット‥

命中精度はマルイのv-10なので問題ないのですが、アイアンサイトで狙った場所に当たりませんw
ボルトアクションなのにこれは致命的ですね・
どうにかしないとなぁ~


とりあえず紹介は終わりです。
まだスコップやら、銃剣やらガスマスクなど足りないものはありますが、ボチボチそろえていこうと思いますw
はい。



それでは  ノシ


  


2015年03月16日 Posted by カナッペ  at 06:08Comments(2)装備WWⅡナチスドイツ

戦利品のはずが・・・・



 復活したのに放置していたカナッペですw



 今回は     WWII 米軍     ではなく、
最近かなりアツい(自分だけ?)のナム戦 米軍でもないんです。





自分のブログではかなり珍しいのではないでしょうか?



自分は メイン が WWII 米軍 や ナム戦 米軍 と言うだけで他にも装備があるんです・・・・
はい。







 そこで今回は、 「普段は眠っていて、一年を通しても まったく そこまで使わない装備」 の一つを紹介したいと思います ヨロティク(=゚ω゚)ノ




 「第一弾は」というよりも「一つ目」は、

     WWII ナチスドイツ 国防軍

です







予想はついていたと思いますが、お付き合いくださいねw  


2015年03月16日 Posted by カナッペ  at 04:17Comments(0)装備WWⅡナチスドイツ

おまけ

継いで仕事でこれも紹介しちゃいます

BC-633
(SCR-536)

です。
こちらも「Saving private ryan」や「Band of brothers」などで見ることができます。


通称「ハンディー・トーキー」
BC-611はクリスタルの交換によって周波数を変更するので、BC-1000のように状況に応じてダイヤルなどで周波数を変更することができません。
中隊本部から任務に応じて貸し出されていたようです。
またバッテリーの持ちはあまり良くなかったようで、更新する際のみ電源をつけて交信し、交信が終了したら電源を落とす。というような使い方をしていた模様。


横に付いている黒いスイッチで相手と交信します。



BC-611を交信で使用しないときはアンテナをしまって持ち運びやすいようにコンパクトにします。
ただ、スリングが短いため、たすきがげでの持ち運びができません・・・


交信で使用するときにはこのようにキャップを外してアンテナを伸ばします。


自分の持っているBC-611はレプリカですが、出来はいい方だと思います♪


ちなみにBC-611はすでに特省無線加工済みなので実際に使用することができますicon12





通信兵なら持っているちょっとした道具
CS-34 ポーチ


革製のホルダーにプライヤーとポケットナイフが収納されたポーチで、主に通信兵や工兵が携帯していました。
この道具を使って無線機を修理したりしていたそうです。


ちなみに
革製のホルダーを「CS-34」
プライヤーを「TL-13-A」
ポケットナイフを「TL-29」
と言います。  


2014年01月25日 Posted by カナッペ  at 02:00Comments(0)装備

新たな物資が到着♪






今回は













GIコット


とりあえず組み立ててみました♪

自分のGIコットは朝鮮戦争辺りの物で、フレームが木でできています。
寝そべったり、座っていると折れそうで怖いですけど・・・face07


これから大事に使っていこうと思います。  

2013年11月15日 Posted by カナッペ  at 01:07Comments(1)装備

マジかよ・・・



最近、雨のせいでサバゲができずに何かが溜まっているカナッペです。

明日に備えて装備の点検をして、設定を決めて、写真撮影 サバゲを楽しみにしてたのに!!
雨ですべてが無駄に orz
二週連続なんて、どんだけなんだよface07

早くサバゲがしたい・・・


今回はナムナムで行く予定で、準備♪




これは、背中に背負う予定だったPRC-25
クレイモアバッグには、「play boy」(1966年)などの私物を入れています。

他にもマチェットや、スモーク・グレネードなどradiomanぽく見せるアイテムをつけていたら、これだけで
14k
に・・・

サバゲで使うレベルじゃない重さにicon11

これに基本装備をつけたら、最後まで戦えそうもないな(;一_一)


とか言いながら、当時のradiomanって、もっと重い物をと考えると、こんな重さぐらいと思えますねicon23







なんだかんだ言っても、明日のサバゲが無くなったので、来週の和食の前期テストの練習でもするか~
後は、いつも通りに和訳しながらの装備のお勉強&当時のミリメシの再現でもしますか♪\(^o^)/







実は、
更新していない間に、またいろいろ増えましたw













  


2013年09月08日 Posted by カナッペ  at 02:04Comments(1)装備

就職活動・・・

 履歴書が書きに苦戦しているカナッペです・・・icon10


ゆかりん
やべっ、鼻血が・・・











なかなかお目にかからない、ポンチョタイプのM2弾薬バックです♪
正式には、「Ammunition Bag M2」だそうです。



見た目は、裏も表もたいして変わりないです。

 これを頭から被るように着て、両脇にあるストラップで留めて使用します。
このバッグは、60mmや、81mm迫撃砲の砲弾を運ぶだけでなく、30口径の弾薬箱、バズーカの砲弾なども運搬するのに使用されました。

(例)




ケースには、フタが付いていませんが、「CARTRIDGE 60MM HE M49A4   W/FUZE PD M525 FOR M2&M19 MORTARS」と書かれています。
書かれていることは、いったいどんな意味なんでしょうね?face07
自分には、60mmのHE弾しか分かりません。



こんな感じで、60mm迫撃砲の砲弾なら、前後に4発ずつ入れて運用可能でした。


はぁ・・・




ここまで揃えたら、
M2迫撃砲が欲しい!!



あ、 来週から帝都にある高級フレンチ「ラ・ロシェル」に二週間程度研修に行ってきますface05
  


2013年07月16日 Posted by カナッペ  at 01:23Comments(3)装備

空挺の誇り



どうもカナッペです♪


今日は以前言っていた、新たに購入した装備について紹介です。face01









買ったのはこれ!!





空挺部隊の特殊装備の一つ、「ジャンプブーツ」ですicon06




軽く説明すると、
このブーツは大戦中に空挺部隊が使用していたブーツで、トゥーキャップの付いた茶色い革製の編みあげブーツで、靴底はヒールとソール部に分かれたツーピースで、靴ひもを通すレースホールが12個あるタイプが一般的です。(サイズによっては11や13ホールの物がある)
また、パラシュートのラインが突起物に引っかかることを恐れて、ブーツはフックなどを使用しないシンプルなデザインで作られました。
支給時には革製のレースがブーツに付属で付いていましたが、パラコードを使用している写真などもあります。

製造メーカーは、「Corcoran」が有名ですが、「Red Wing」などのブーツメーカーでも製造されました。

このブーツは当時のアメリカ兵の間でかなりの人気アイテムで、レンジャー部隊の隊員や、空軍の兵士にも使用例が見られます。
おそらく交換やコネなどを使用して手に入れていたのかもしれませんね。icon12

このブーツを空挺では、大戦末期まで使用する兵士もいました。


艶やかなブーツicon12
田〇商店さんのを使っていますが、色、艶が・・・



今回購入したジャンプブーツは、「Corcoran」製の再生産品です。
このタグがいい感じですface05


  


2013年07月14日 Posted by カナッペ  at 18:54Comments(1)装備

進撃の女子!!



福岡では「進撃の巨人」の放送は明日ですけど、一足早くネットで見ました♪

相変わらずの展開の遅さなので、いったい何話構成なんでしょうねぇ~icon11
どっかの古典部部員の女の子みたいに、「凄く気になりますicon12



はい、昨日はサスペンダーとベルトを紹介しましたが、
今日は・・・






M1936 フィールドバック

 M1936フィールドバッグは(一般にミュゼットバッグとして知られている)カーキ色のキャンバス地で作られています。実際に戦場で使用して問題になったのは色(カーキ)で大戦中期ごろからは、オリーブドラブの物も生産されたようです。
空挺部隊は降下する時には、予備のパラシュートの下に着用していました。
サスペンダーに装着する時には、サスペンダーのDリングとミュゼットバッグの下にあるDリングにストラップに装着してリュックみたいに背負うように運用します。
バッグの中には、4つにくぎられたポケットのようになっていて、中にはテントや毛布、レーション、日用品、換えの下着などを入れるようです。
バッグは2つの金属製のバックルに通過した大型フラップで止めます。
またこのバッグは、英国と米国企業によって製造されました。
ミュゼットバッグには半防水加工版(防水)で生産されたタイプもあり、これは3つの層になっていて、キャンバス、ゴム、キャンバスで作られています。


このバッグは空挺の基本装備の一つですよね~face02
装備を集めだしたころはこれを背負うだけで、空挺の気分でしたよicon12







リガーポーチ

 映画「プライベート・ライアン」でも出てきたポーチですが、M1カービンやガーランドのマガジンを入れるポーチで、持ってはいませんが、トンプソン用のリガーポーチもあります。
ピストルベルトに通して使用します。


 なんか、詳しく説明するのがめんどくさく詳しく説明すると終わるものも終わらないので、次回からは少し説明をはしょり気味で行こうと思いますが・・・icon10
どうでしょう?face07

  


2013年06月24日 Posted by カナッペ  at 00:20Comments(0)装備

「隊長、捕虜を捕らえました!!」



隊長「・・・」

兵士A「隊長?」

隊長「(;一_一) 」






さて、
あなたが隊長ならこの捕虜をどう扱いますか?











 さて今日は、WWII 米軍空挺装備について紹介していきます。
「以前から書く予定でしたが、装備の写真を撮るのがめんどくさく、時間が無くて書く気が無くなっていました♪」・・・なんて言えない。


まずは、基本中の基本。
これが無いと始まらないと言っていいピストルベルトとサスペンダーの紹介です♪



 M1936 ピストルベルト
 ピストルベルトは厚いコットン素材で作られており、3つの穴が一定の間隔でつけられています。 一番上の列の穴は、M1936サスペンダーをつけるための穴です。 真ん中の列の穴はピストルベルト自体のサイズ調節のためです。 一番下の列は様々なツールをつりさげるための穴です。 ピストルベルト自体はフリーサイズなので、たくさんの穴で自分に合ったサイズのピストルベルトを作るために、このような作りだったようです。
 ピストルベルトの左手側の先端らへんに一つだけ凹ボタンがあります。それはM1カービンやガバメントのマガジンポーチをしっかりと固定するためのものです。マガジンポーチの裏には凸ボタンがついています。




 M1936 ベルトサスペンダー

 カーキ色のサスペンダーは、カートリッジベルトやピストルベルトを支えるための物で、サスペンダーの下にあるスプリングクリップ(フック)でベルと連結させて使うように設計されました。 サスペンダーには、ミュゼットバッグや手榴弾などを取り付けられるように、全部の胸の位置にはDリングが左右に付いています。 サスペンダーには前部に4つ、後部に2つ、計6個のスプリングクリップでカートリッジベルトかピストルベルトのどちらかを取り付けられましたで。 サスペンダーのサイズは調整可能で、非常に強いです。 また空挺部隊では、装備の重量がかなりなものになるため、サスペンダーが肩に食い込まないように、フェルト生地の肩あてを使っているのも確認されています。




今回はこの辺でicon23

やる気スイッチが入ったので、すぐに更新できると思いますface02
  


2013年06月23日 Posted by カナッペ  at 02:13Comments(2)装備

未確認飛行物体が日本上空で確認されたようです。

実際の写真。。。




このUFO、何だか見覚えのあるような...face07









前置きはこの辺にして、学校の学園祭も終わったし、今回コレクションを紹介していきますね~♪












まずはこれ!!










「Kレーション」と、「Cレーション」のBOXですicon12

 福岡では、あまり持っていらっしゃる方の少ない物だと思います。
なんてったって、リエナクトやWWIIイベントありませんからね...



ようは、
全然必要ないんです。
持ってても使うことが無いんです。
いずれ福岡でリエナクトをするときに役に立つだろうと買ってます。



完全にスペースとお金の無駄遣いです。icon10
その時は、BOXを量産して使いますよ~face02
いい絵になると思います。



これはKレーションBOXの中身ですが、半分ぐらいしかレーションが詰まっていません... 残りは敵兵から奪ったものです。
これからじみちに集めていきます。
(このKレーションは復刻盤なので、実際に食べられますw)






さて、お次はこれ♪




小物で細かく言うと、石鹸、歯ブラシ、鏡、くし、裁縫セット、タバコ、ライター、ドッグ・タグです。

すべてリプロ品です。face02



日用品だけの写真。

あと、ひげ剃りとクリームが欲しいですところですがicon11






何かとお世話になる裁縫セットicon22
大きさは手のひらサイズでとても携行しやすいです。



中はこんな感じです。
針やボタンも充実icon12
これでフィールドでボタンが外れても安心♪







最後はWWII使用のラッキー・ストライクですicon12
当時はフィルターが付いてなかったので、煙をダイレクトに肺に入れていました・・・
とても健康には良くないですねicon10

横のZIPPOは、WWIIの復刻盤の物です。
見近くのミリタリーショップでみつけた時にそく買いしちゃいましたw


今回はこの辺でicon23

また近いうちに更新しようと思ってますんで、また~  


2013年06月11日 Posted by カナッペ  at 00:38Comments(1)装備

缶コーヒーを買ったら・・・


 ボスの缶コーヒーを買って、パッケージが張さんこれでも「絶対、気がつかないなぁ~」と思ったカナッペですw



さて、更新が長い間止まっていたicon11WWII 米軍装備についてです。

その中でも今回は、ウエポンについてです。face02

まずは集合写真w

木ストだらけだ~  木をふんだんに使ってますねicon12

 ※ここから先は、トイガンの情報です。


・M1カービン (ホーク・アイ改造)

 
 ガスのセミオートマチックライフルで、マガジンの装弾数は22発と少なめですが、ホーク・アイ改造のためかなりの命中精度があり、サバゲでも全然使えます。また、ガスガンなので雨にも強いし、何よりブローバック音が非常にイイです♪
 ただしガスガンのため、夏限定の運用ですが・・・


・トンプソンM1A1 (東京マルイ)


 皆さんもよくしてるトンプソンなので、性能は割愛で行きますね~♪
改良点は、なんちゃってブローバック機能の追加と、ハンドガード、グリップ、ストックを木製使用に変更したぐらいです。
最近、木ストがいい感じの使用感になってきてかなり気に入ってますface05



・M1ガーランド (ICS)


 はい、一番ポピュラーなガーランドですicon12
夏ごろにG&Gからも出るそうなので、それまで繋ぎですw

少し手を加えてやれば弾道も文句なしの銃です。


ただ、


マガジンがM1923カートリッジベルトに非常に入りにくいです。
リプロは入れ方+押し込みで何とか収まりますが、実物には入りませんでした・・・orz
この難点さえなければどんなにいいことかface07

・M1903A3 (KTW)


 こいつはかなり使いやすい銃で、命中精度もいいですし、なにより発射音が静かです。ただ、装弾数が15発ぐらいなので、取り扱いが難しいです・・・。
そろそろA4にしてスナイパーでもしようかなw



ギミックも細かいので使っていて楽しい銃ですね。







・M1918 BAR (VFC)


 ・・・
こいつはなかなか使う機会が無い銃ですねicon10
 再販のときに即買って、スペアマガジンも8本買って、メインで使う気満々だったのに、いざ使ってみると、重いし、とりまわしにくいし、バレルが長いので、いろいろな所にぶつけそうになるしでなかなかね~

唯一、箱のまま保管している銃です。



まぁ
かなりザックリでしたけど自分の銃の紹介にについては以上です。icon23

気になることがあれば、気軽にコメントくださいね~

それでは、
また~  


2013年05月29日 Posted by カナッペ  at 01:56Comments(6)装備

最近、ご無沙汰・・・



最近、ブログの更新がかなりご無沙汰でしたが・・・
ちゃんと生きてますよ!!

更新していない間にいろいろアイテムが増えたりしていましたが、またゆっくり紹介していきます。icon22

今日はこれ!!







米軍装備なのに、なんでこんなものがあるのかって?
戦利品(ヨーロッパ戦線)ですw
戦利品は、ルガーP‐08、ユーゲントナイフ、ナチス旗です。

今さらですが、ルガーはカッコいいですねicon06
手のフィット感、見とれるデザイン・・・とても美しいですねicon12



最近ナチス陸軍を集めようか真剣に悩んでたりと、ナチスの魅力に引かれ気味のカナッペでしたw  


2013年05月19日 Posted by カナッペ  at 23:24Comments(1)装備

目が覚めると横には...

こんな美少女が居たらいいのになぁ~\(^o^)/
最近、画面の中に入れないかと試行錯誤しているカナッペですw

 さすがワイ華さんいや、五十鈴さんめちゃくちゃカワイイですよね~icon06
 ガルパン最終回を見ました。
TV版を10話で区切った理由ここにあり!!てな感じでした・・・icon22    スタッフの皆さま、本当にお疲れ様です。 2期を期待してますwww
 まさか黒森峰にマウスがあったとは・・・恐るべき最強校...




さあ本日も装備について語りますよ~♪

本日はM-43フィールドジャケット&トラウザーズについてです。
 当時のアメリカ軍は参戦に向けて、一般的な歩兵が着用するフィールドジャケットの他に、空挺部隊、機甲部隊、山岳部隊などの特殊な部隊に合わせて様々な衣料を作っていた。
しかし、戦争が本格化すると供給の問題や、ヨーロッパの気候や地形に素材や色が合わないなどの様々な問題が浮上してきた。

1942年の秋には「the M1943 experimental combat outfit」のテストを開始、フィールドトラウザーズ、サスペンダー、折り畳み式のスコップ、2バックルブーツ、ハイネックウールセーター、ジャングルパックなどを総合的に開発し、その一環として新型フィールドジャケットも開発されていた。この新型ジャケットは、歩兵だけでなく陸軍全軍が支給対象になっていた。兵科別のジャケットは廃止して、統合し、統一することで生産性を向上させ、管理を容易にできるメリットがあった。
 テストグループは4つのグループに分けられ、本土と北アフリカでテストを行いデーターを収集した。フィールドジャケットはマウンテンジャケットをベースに2つのパターンがテストされて、・AAタイプは、マウンテンジャケットのように背中にジッパー式のポケットを持ち、ポンチョやスリーピングバックが収納できた。ベルトには直接ファーストエイドやキャンティーン、バイヨネットを装着できた。またショルダーストラップを持ち、M41フィールドジャケットのようなタブで調節できる袖口だった。大型の腰ポケットは3つの手榴弾が入る容量があったが、ベルトに装備類を装着すると、ポケットは邪魔になった。・BBパターンはより丈が長めのデザインで、ベルトの代わりにM41フィールドジャケットのようなウエストバンドと調節用のボタンがウエストに取り付けられていた。袖口の調節はM-43フィールドジャケットに近いデザインだったが、未完成のため評価は悪かった。どちらも防水防風を意識したコットンポプリンを使用していた。このBBパターンがM-42テストデザインとなってM43フィールドジャケットのベースになったと考えられている。
 同時にテストされていたフィールドトラウザーズは、左右に大型のカーゴポケットを持っていたが、その形状は何度も変更され試行錯誤が繰り返された。
 ちなみに、残りの2つのグループは、従来の装備と衣類をまとった比較グループだった。
 ※「the M1943 experimental combat outfit」は第二次世界大戦中に行われたもっとも重要といえるプロジェクトで、この結果を受け、様々なアイディアがその後のアメリカ軍軍装に生かされていくことになる。

 テストの結果を受けて新型ジャケットには、すべての環境に対応するために重ね着を前提として、大きなカーゴポケットと前立てをもった防寒性・防風性が要求された。テストパターンのBBタイプに改修を加えて、最初のフィールドジャケット(Jacket,Field,M-1943{PQD 1 370})は、43年5月にスペックが付けられている。 M43フィールドジャケットの生地は、頑丈で防水性があるコットンサテンをオリーブドラブで染め上げヨーロッパ地域での迷彩効果を高めている。また大きなポケットが両胸と腰部分に計4つあり、それをフラップで止めている。 胸のパッチポケットはまちがある分、容量は大きくなる。 腰のスリットポケットは、コットン地の内張りが温かい。4ヶ所のポケットで容量は十分確保できているので、日用品を詰め込んでしまえばザック類を背負う必要が無いほどだった。
胸のパッチポケット
腰のスリットポケット

腰回りはローコードで無段階に長さを調節できる。


 衿周りはM41フィールドジャケットの流れを引き継ぎ、衿は開襟でも閉じても、あるいは衿を立てて前たてで閉じれば、外気の侵入をシャットアウトすることができた。未使用時にはボタンで止められる。袖口は二つのボタンで調節でき、温度調節や運動性に優れていた。


大きな特徴は、「重ね着」の考え方が取り入れられていることで、敢えてコットンポプリンのライニングにしたことで、保温性の高いパイルの裏地を持つインナージャケットを別に着込めば広い範囲の温度帯に対応できた。そのためジャケットのサイズは少し大きめに作られている。
既に採用されていたパーカ類では、アウターとシェルの組み合わせで温度変化に対応するシステムは存在していたが、M-43フィールドジャケットはその後の軍隊の衣料そのものを大きく変えてしまうほどのインパクトがあった。また、現在のアウトドア衣料の基本になっているレーヤードの考え方は、この時に完成したといっても過言ではない。
 M-43フィールドジャケットの導入に伴いトラウザーズも同様の「Trousers,field,cotton,OD」(PQD371)を導入しているが、それ以外のウールパンツ(マスタードパンツ)や、HBTパンツを着用している兵士も多い。 合わせて装備類も明るいカーキ色から濃いオリーブドラブに変更されている。 ブーツも2つのバックルで止める(ブーツとレギンスが一体化した)ブーツに変更になり、アメリカ兵のいでたちを変化させた。
 



 M-43フィールドジャケットには、5つのバリエーションと、1つの派生型がある。
 M-43フィールドジャケットは、44年1月のアンツィオ上陸の第三歩兵師団、サンマルコ山攻撃時の第一特殊作戦部隊で実戦使用され、その後数度にわたって改修を受け順次採用が開始されていった。空挺部隊などの特殊部隊から優先的に支給が始まったものの、全軍に行きわたるに時間がかかったようだ。
 一般的に出回っているM-43フィールドジャケットは、初期の改修を受けた370B以降のモデルの可能性が高い。1番最初の43年5月「PQD 1 370」、2番目の「370-A」、以降43年7月「370-B」、43年10月「370-C」、44年2月「370-D」、44年8月「370-E」と変更が加えられていった。レアな物としては、43年9月に指定を受けた「397」は370Aと同型で、M41と同じポプリン製のシェルとウールライトニングを使用していた。 これは余剰にストックしていた素材を消費するために生産された限定モデルで、44年の春までに少量生産されているようだ。
 残念ながら「PQD 1 370」がどんなモデルだったのか明確な資料は無いが、限りなくM42テストデザインに近いディテールを持っていたと考えられる。
衿の裏にはM41フィールドジャケットのようなタブが付いていた。「370-A」は襟裏のタブの位置が低くなり、袖の処理が変更されていて、2種類の長さ(レギュラー・ロング)の13サイズが用意された。「370-B」は襟を閉じるタブの形を前建に変更し、厚みのあるボタンに変更、台形の前建てを使用しないときに止めるボタン1つを省略。襟もとのループの形状変更、サイズを(ショート・レギュラー・ロング)を使う18サイズに変更。
「370-D」は、「How to use」がタグかプリントで明記された。「370-E」では、胸ポケットがより大きく、「How to use」んい図が加えられ、サイズタグが襟もとに付けられた。

M-43トラウザーズ(空挺使用):M42ジャンプトラウザーズのように、空挺は支給されたばかりのトラウザーズにも大きなカーゴポケットを取り付けて使用していた。



 不備があればご指摘お願いします。
指摘をいただいて勉強することもあると思うので。。。


次回はウエポンを紹介していきますね♪

それではまたicon23  


2013年03月28日 Posted by カナッペ  at 02:33Comments(0)装備

なっ、そんなこと///

更新のペースが、更新するたんびに落ちていってるな~と思い始めているカナッペです・・・(;一_一)

「うぽって!!」から


銃だもんね、ふんこは。
だけどふんことこんなことを・・・///
羨ましい!!

この間は、ヘルメットについて書きましたんで、今回はフィールドジャケット&パンツについて書きますね♪

 以前紹介したように、40年代に初めての実験小隊が誕生し、アメリカ軍初の空挺部隊となった第82空挺師団(オールアメリカン)が1943年3月に誕生した。以降陸軍は、第101空挺師団(スクリーミングイーグル)1942年8月、第11空挺師団(エンジェル)1943年2月、第17空挺師団(ゴールデンタロン)1943年4月、第13空挺師団(ユニコーン)1943年8月と4つの空挺師団を誕生させたのです。
既に、ドイツ軍は空挺部隊による輝かしい戦果を得ていて、イギリス軍も41年に第1空挺師団が設立されてた中、アメリカの空挺師団の構想が遅れていた原因は以前書いたので、割愛♥
そんな空挺師団構想が少しずつ進む中で、空挺部隊のための特別な服装(ジャケット、パンツ)も考案されていました。
当初、訓練で使用していたワンピースからヒントを得たとか、陸軍航空整備員着用のカヴァーオールからヒントをえたとかでジャンプスーツ型の戦闘服が考案されましたが、訓練で使用されただけにとどまってしまい、実戦で使用された記録は見当たりません...ちなみに、フロントジッパーで開閉ができるシルク製のワンピースで、防水性&防風性を持たせて、斜めに付いた胸ポケットや腰、大腿部分など、随所にポケットが設けられていました。


[Cort Parachute Jumper,M1941]の参考写真です。↑
 41年、第501パラシュート歩兵連隊のヤーボロウ大尉(※本名:ウイリアム・P・ヤーボロー。空挺章やジャンプジャケットのデザインは、彼によるものである。戦後に設立した特殊部隊訓練センターの初代司令官で、陸軍中将で1971年に退役した。ちなみに、降下記章のデザインは陸軍の紋章局で作られていたが、戦闘部隊として初名乗りを上げた第501大隊の隊長ウィリアム・W・マイリー少佐は紋章局のデザインが気に食わなかったので、部下のヤーボロー中尉(当時)に降下記章のデザインの作成を命令する。出来上がったデザインは落下傘の主傘を囲むような感じを抱かせる力強い雄鷲の両翼だった。デザインを気に入った隊長は紋章局に直ちに350個の降下記章を作らせたというwww)はジャンプスーツ型を進化させ、コットン生地を使用した2ピースの[Cort Parachute Jumper,M1941]をデザインしました。4つの大きなパッチポケットが特徴で、胸ポケットは物が取り出しやすいように斜めに取り付けられています。どのポケットにも斜めにカットされたフラップが付いており、1つのドットボタンで止められるようになっています。フロントは3/4程の長さのジッパーで閉じられ、同素材で、左右のカーゴポケットは大きめのフラップで閉じられました。ただし、こちらはドットボタンが2つ使用されました。裾の部分はブーツが履きやすいように先端部分が細くなっていて、ジッパーで開閉できるようになっています。
使いにくいであろうパッチポケットや不自然な形状のフラップ、脇腹部分まで縫いこまれた布製のベルトに調整できないドットボタンなどかなりなぞな部分が多いジャケットで、全体的に未完成と感じ取れる箇所があり、テストサンプル的な物だと思います。

そんなこんながありまして、ついに完成しました!!

正式名称:
ジャケット「Cort Parachute Jumper(PQD 114)」    
パンツ「Trousers Parachute Jumper(PQD  113)
一般的には、「M42ジャンプジャケット」や「エアボーンジャケット」、「パラトルーパージャケット」って呼ばれてますね。
空挺好きなら誰でも知ってるこのなじみの深いM42ジャケットですが、初期のジャンプジャケットと区別するためにM‐42と呼ばれていたみたいです。
 降下の邪魔にならないようにシルエットはスリムにできていて、フロントジッパーで開閉でき、背中の部分には、動きやすいように大きなプリーツが3カ所入っています。上半身に比べるとタイトなウエスト部分は、同素材のベルトで形式的に縮められるようにデザインされていますが、切り取られているケースが多いです。
 斜めにカットされたプリーツの付いた4つの大容量ポケットはドットボタンで閉じられて、収納量に応じてフラップを留める位置が調節できるようにドットボタンの凸側が2列に配置されています。 フロントの襟元の部分には隠しポケットが作られ、M2ナイフが収納されるようになっています。このナイフはパラシュートが木に引っかかった際に、サスペンションラインを切りやすいようにボタン1つでブレードが飛び出すスイッチブレードタイプになっています。
 素材はコットン生地で、染色の違いからかグリーンがかったカーキと、イエローがかったカーキが見られます。 また製造年やメーカーの小さな差異としては、脇の下のベントホールには、金具グロメットのタイプと糸でかがったタイプがある他、ドットボタンの素材やジッパーベルトのバックルにもバリエ―ションが存在します。
 トラウザーズは余裕のあるシュルエットに、大型のカーゴポケットが左右の大腿部分に付けられ、左右とヒップ、ウォッチポケットの計5カ所にポケットがあります。 裾はジャンプブーツにたくし込んで着用するために先端が絞り込んであります。 初期のモデルは、裾に三角形のゴムが付いていて足首をフィットさせていました。(量産段階になると省略された)
 空挺部隊の隊員は、実戦降下の際には大量の弾薬や衣料品、食料、日用品、衣料品などをポケットに詰め込んで行動しなければなりません。 その重量のために輸送機に乗り込む際に自分の力だけではタラップを登れなかったほどです... ポケットいっぱいに詰め込んで戦う様は「バギーパンツを履いた悪魔」と敵のドイツ兵から呼ばれ、恐れられていました。
 ところが何度かの実戦で、ジャンプジャケットの弱点が明らかになりました。生地が弱く肘や膝などがすぐに擦り切れてしまい、ポケットがその重量に耐えられきれずに破損してしまうことでした。(パスファインダーチームの編成で呼び寄せられた、実戦経験のある第504連隊の隊員達が伝えたのかもしれない。)空挺隊員のジャケットとトラウザーズは回収され、モディファイ(改修作業)が行われました。 その概要は、ジャケットには肘あてと腰のポケットの外周への補強、トラウザーズには同じくカーゴポケットの補強と膝当て、カーゴポケットを抑えるストラップが追加されました。 使われた素材は、目の粗いキャンバス地で湿り気があり、(1説では防水加工が施された素材(航空隊の酸素ボンベのカバーの素材))が使われたといわれています。 推測の域を出ないが、基地の倉庫にこの素材が大量にあったのだろう。
 モディファイは大まかな点で両師団とも共通だが、比較してみると僅かながら差が見られます。第82空挺師団のタイプはストラップも同じ素材で作られているのに対して、第101空挺師団のタイプは装備品のベルトを流用しています。
 強度の問題は一例にすぎませんが、防水性、防寒性、素材、色など、実戦を経験することでM‐42ジャンプジャケットの問題点が浮き彫りにされて、他の衣料と合わせて新型のフィールドジャケットの必要性は高まっていったのでしょう。 こうしてD-Day直前に、南フランスでの空挺作戦に使用されたのを最後に回収され、新型のM‐43フィールドジャケットに変わっていくのです。



自分のM42ジャンプジャケットすべて第101空挺師団使用(気がつけば4着…)








このタイプがモディファイされる前のタイプです。
肩には手書きで階級(四等特技兵(軍曹より下、伍長より上に相当する階級))を書いています。SESSLER MFG製




こちらもモディファイされる前のタイプで、迷彩っぽくしています。ヒューストン製
(当時はガスを探知すると色の変わる薬剤の入った塗料を使っていましたが、そんなものはないのでそれっぽい色のスプレイで代用)




これがモディファイ後のタイプです。
あらためて見ると、主にこれをサバ下などで使っているので汚れや色落ちが激しいですね(-_-;)




こちらもモディファイ後のタイプです。   S&Graf製
肩には追加のポケットが付いています。



 ※記事に書いてあることについて、不備などございましたらご遠慮なく書き込んでください。 m(__)m  


2013年03月13日 Posted by カナッペ  at 06:39Comments(2)装備

やべえぇ~膨らんできた///

最近、春休みに入って生活リズムが狂い始めて、少しずつお腹周りお肉が付いてきているカナッペです。
今回から空挺装備について書いていきます。


まずはヘルメットから♪


トンプソン先生♥ ///

ギリギリおKだよね...

それではスタート!!(^^)v


 1941年4月、陸軍は空挺用のヘルメットの配備を構想し、テスト段階にあったTS3ヘルメット(後のM1ヘルメット)をベースに空挺用に改良を加えたヘルメットセットを最初の試作品としています。ジョージア州のフォートベニングでは、この試作品の完成に至るまでさまざまな空挺用にするテストがTS3ヘルメットを用いて行われました。
そのテストの結果、スタンダードなヘルメットは空挺が降下動作に入ったときや、降下時に体が逆になったとき、またパラシュートが開いたときに脱げ落ちてしまう事があり、(ライナー・シェルが分離しやすいということもあり・・・)空挺用には不向きであると結論づけられてしまいました。これらの問題を改善するために、クオーターマスターコープスの研究開発部門は、他部門及び、民間メーカーと共にM1ヘルメットを空挺使用にするために、必要とされる改良の研究に取り組みました。

 研究の成果あって、空挺によって採用された改良後のM1ヘルメットは、スチールシェル(外帽)のチンストラップループにボタン付きのチンストラップ(ウェブチンストラップ)が取り付けられ、ライナーに付加されたボタンとの連結によって、ライナーとシェルが降下中に外れない程度の固定性を実現しました。またライナーには、バックル付のカーキコットンウェブ(Aストラップ)も付けられ、(裏地の付いた)セーム革で生造されたチンカップとの連結により、着用者への固定性能をも高めました。

ウェブチンストラップ(ライナーとシェルを止めるボタンが付いています。)

カーキコットンウェブ(Aストラップ)


チンカップ 表




M2ヘルメット
 
 1942年1月に最初の発注がなされた、このヘルメットは、1942年6月にM2という呼称が与えられました。M2ヘルメットの仕様書には、スタンダードループの代わりにDベイルチンストラップループを使うことが記述されています。このループの使用により
ウェブチンストラップをシェルの後部で固定することが簡単になりました。後の43年春から夏ごろにエアボーンコマンドコープスは、スタンダードループでも充分に使用に耐えれる事が分かり、もはやDベイルチンストラップループは必要ないと宣言しました。同年10月には、スタンダードM1ヘルメットと同様にスイベルベイルチンストラップループに変更されました。

Dベイルチンストラップループバージョン


スイベルベイルチンストラップループバージョン



M1Cヘルメット

 1945年1月、これまでの空挺用ヘルメットの集大成とも言える、M1C(空挺ヘルメット)が陸軍によって標準化され、同年8月までの間に米陸軍は、392,000個のM1Cを調達しています。
M1Cの特徴は、AストラップがODシェード7になり、鋳型のバックルが用いられ、シェルのウェブチンストラップもODシェード7となった点、そしてシェルの「フチ」がマンガンスチールに変更された点です。

「フチ」を正面真ん中でとめ合わせたフロントシーム


・ヘルメットシェル(外帽)とヘルメットライナー(内帽)の生産について~

 1942年1月~1944年12月までの間に、およそ148,000のスタンダードヘルメットシェルがマッコードラジエターアンドマニファクチャリングカンパニーの在庫から空挺使用にするために分けられて、同社によって空挺仕様へと改良がなされました。 空挺用ヘルメットライナーも同様に在庫品を空挺用に改良したものをM1パラシューティストヘルメットライナーと呼称した。1942年1月~同年秋までの間、ハウレイプロダクツ社製のファイバー(ペーパー)ライナーが43,000個、またインランドマニファクチャリングデビジョン製のプラスティックライナーが75000個、同じく1942年秋のうちに、どちらもマッコードラジエター社によって空挺仕様に改良されました。1943年9月~1944年春までの間、ウエスティングハウス社によって、製造及び改良されたプラスチックライナーが供給されM1パラシューティストヘルメットライナーの最終生産ロッドが完了した。また、このロッドの終盤においてセーム革製のチンカップは、生産コストの引き下げを目的としてウェブチンカップに変更されており、およそ40,000個が製造されました。

パラシューティストヘルメットライナーとシェル(シェルの側面にはスペード♠のマークを付けていて、これは506連帯を表します。)


M2とM1Cの比較(前)...見た目では違いが分かりません。(-_-;)


(後ろ)右側のヘルメットには、下士官のマーキングを施しています。


ライナーの内側


※ネット上の情報を自分なりに書いただけなので、どこかで見たことがあると思いますが、生温かい目で見守ってください。  


2013年03月05日 Posted by カナッペ  at 01:54Comments(0)装備

翼のために…



さて、今回からしばらくは予告していた通りに 事故満足 マイ装備の紹介をしていきます。


一番初めは空挺からいこうと思います。
てか、空挺から始めます!!




空挺の始まりの、敵戦線後方に重武装の部隊を飛行機から降下させると言うある意味素晴らしい構想は、1918年10月にビリー・ミッチエル大佐によって初めて真剣に提唱されました。(まぁそんな彼も、航空機の将来性を信じ、陸軍准将の時に、陸海上層部に独立した空軍の創設時を説き、挙げ句の果てには陸海幕僚を無能者や、反逆者呼ばわりし、クーリッジ大統領の直命で軍法会議に付され5年間の軍無停止になってしまったみたいです…( ̄▽ ̄;))
1930年代に入るとソ連やドイツ、フランス、イタリアで空挺の実験が行われていたにもかかわらず、アメリカが構想を実現しようとしたのは1940年の春、ドイツ空軍のパラシュート部隊とグライダー部隊が機械化師団の進出に先立ってオランダとベルギーの重要防御点わを奪取するという離れ業を成し遂げた後のこと…

※アメリカ陸軍が真剣に降下部隊の創設に動き出したのは1940年5月9日にベルギーとオランダに降下して、圧倒的な勝利をしたドイツ軍の作戦を知ってからです。 ちなみに、この作戦の少し前(4月9日)に、ドイツ軍はデンマーク領ユトランド半島の北端の町、アーホーグに1個中隊の落下傘部隊を降下させてこの町を制圧し、1ヶ月後に迫った大部隊降下の小手調べをしました。

ドイツ軍の空挺部隊の成果に驚いたアメリカ陸軍は、1940年7月1日 フォート・ベニングに最初のパラシュート実験小隊を創設しました。

※パラシュート実験小隊が陸軍省から創設許可を受けたのは1940年6月25日で、隊員募集が始まったのは次の日の26日だった。
朝礼の時に隊員募集を発表すると、2時間以内で約200人の応募者が集まるという…(;´д`)
その中から士官が2名、下士官と兵が47人で、合計49人が選ばれて、今では世界に冠たるアメリカ合衆国陸軍落下傘部隊の第一歩を踏み出した。隊員の多くは、第4師団の隷下部隊から独立して補充および教育団として、ジョージア州のベニング基地にあった歩兵教練部隊に配属されていた独立歩兵第29連隊の隊員達であった。
隊員は2ヶ月以上の軍隊経験者で体重は84キロ以下、また、独身で身体強固な軍人達だったようだ。
49人の部隊編成は当時の正規歩兵小隊の士官1人、下士官を含んだ兵39人に不慮の事故等による隊員欠如を配慮して、小隊に9人の隊員を上乗せしていた。
小隊は第29歩兵連隊の志願者48名で編成され、同じ月の29日には、最初の集団降下を行った。ここからアメリカ陸軍のエリート部隊である、エアボーン(空挺部隊) が誕生したのだった。
(空挺部隊の名称はグライダー部隊にも与えられた。)
最初に、編成されされた大規模な部隊は、第501パラシュート大隊(1940年10月1日 創設) で、第82と第101空挺師団は書類上では1942年8月15日に誕生している。













1942年11月の「トーチ作戦」 のさなかに、第509パラシュート歩兵連隊第2大隊がフランス領の北アフリカに最初の戦闘降下を敢行した。
ちなみに、降下したのは第2大隊のD、E、F中隊および管理中隊だった。C-47型輸送機39機に分乗した。
1943年7月には、第82空挺師団の一部と、第509連隊第2大隊 がシチリア進攻作戦「ハスキー作戦」 に参加している。

作戦はどちらも多くの犠牲を出して失敗に終わってしまったが、貴重な教訓を与えてくれた。
そしてノルマンディー上陸作戦「オーバーロード作戦」前夜には、今やイタリア本土での激戦で鍛えられた第82空挺師団と戦闘未経験の第101空挺師団は、共にイギリスにて、ヨーロッパ解放の最初の戦いに重要な役割を果たす日を待ち構えていた。
1944年6月6日、払暁前の暗闇の中、初めてドイツ占領下のフランスに足跡を印した部隊の中に両師団の姿もあった。その後も彼らは大きな損害を被りながらも目覚ましい戦いぶりを見せたのである。  » 続きを読む


2013年02月14日 Posted by カナッペ  at 02:13Comments(1)装備

…(;´д`)

まず始めに、
久しぶりの更新だあああぁあぁぁぁ~!!!!!

( ゜Д゜)







(つД⊂)ゴシゴシ







(;゜Д゜)










(つД⊂)ゴシゴシ











(;゜Д゜)









(つД⊂)ゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシ…








( Д )












(; Д ) !?




観覧数が5000を越えたら更新しようと思って、思っていただけで越えてもなにもせず、1月最後の日になって更新しました。


言い訳としては、最近学校が忙しくてなかなか更新できる時間が無くてですね…

これからまたちょくちょく更新していきますんで、今後ともどうぞよろしくお願いします。

これからしばらくは 自分のWWⅡ 101空挺装備について書いていこうと思っています♪

頭から書くか、足から書くか…
どっちからが良いですか?( ̄▽ ̄;)


完全に別件ですが最近、九州でWWⅡのヒストリカルサバゲ(国などはどこでもアリ)をかんがえたりしてます。 ←結構真面目に…


ただ、九州にどれぐらいのWWⅡ好きが居るかどうか?ですよね~
実際、十人に満たない人数でフィールド貸し切りはいろいろなめんでキツイだろうし…





  


2013年01月31日 Posted by カナッペ  at 03:56Comments(2)装備

戦場で困った時の…

「Medic!!
Come over here soon!」


「OK!
Now, I go to over there!! 」





はい!
そんな訳で、←どんな訳だよ…( ̄▽ ̄;)
今回は[メデック 装備]を紹介します♪

と、言っても形だけなんですけどね~f(^_^;
まだ小物が揃ってなくて、完成とは言えません。


とりあえず写真


前向き

後ろ向き

自分のメデック装備の内容:
・M1 ヘルメット

・メデック腕章

・メデックポーチ ×2

・メデックサスペンダー

・キャティーンポーチ ×2

・キャティーン ×2

・ファーストエイドポーチ

こんな感じでしょうか?
表記間違いがありましたら、すみません(;>_<;)

M1ヘルメットのマークは皆さんご存知、衛生兵特有の赤十字マーク♪
自分はヘルメットの前方、後方、左右にマークを書きました。
なるべく撃たれたくないんで…( ̄▽ ̄;)
とはいっても、サバゲではジュネーブ条件は、もちろん適用されませんw
なので、武器を持っていようがいまいが(サバゲで持って無いのはおかしいですが…)確実に撃たれます( ̄▽ ̄;)

だから、サバゲ中のフィールドに入っての写真撮影の時に使ってます♪( ̄∇ ̄*)ゞ
分かりやすいので、あまり誤射はされません。
万が一撃たれても、「畜生、メデックを撃つなんて、条件違反だ!!ι(`ロ´)ノ」と言って、存在アピールw

話しがそれてしまいましたが、本来ヘルメットにペイントするのは、自分がメデックであることを敵国の兵士にもわかるようにするためです。
そのために目立つ赤十字マークをヘルメットにペイントさしりり、腕章を着けたりしていました。
当時の写真で、両方の腕に腕章をつけているものも見たことがありますね。
また、ヘルメットのペイントは様々で、ペイントを前後だけにしたり、左右だけにしたり、自分の様に前後左右にしているものも存在します。
赤十字マークも、自分の様な<白丸に赤十字>のよく見るタイプや、<白い四角に赤十字>のタイプ、<赤十字を白で縁取り>したタイプ、<白い八角形に赤十字>のタイプなど様々です。ヘルメットにネットを被せているメデックは時々、ヘルメットにはペイントせず、紙などの白地に赤十字マークを書いて、ヘルメットとネットの間に挟んでいたりもしました。
そういえば、戦争初期はまだ、マークの大きさ、形などが決められていなかった様な…(;´д`)

いまさらですが、メデックについて少し話しておきますね♪
メデックとは、負傷した兵士の看護、治療にあたる兵士です。
ついでにジュネーブ条件も…
ジュネーブ条件は、ジュネーブで、1929年に結ばれた国際的「傷病兵保護条件」のことで、
・自己防衛、患者の保護目的意外の武器の携帯禁止。
・敵国に属する衛生兵でも攻撃は禁止。
・傷病兵の看護、治療意外の戦闘行動の禁止。
などが規定されています。
なので、メデックはどんな状況でも武器を手に取らないんです。いや、取れないんです・・・(;´Д`)
(赤十字マークもメデックの国際的な認識マークなんです。)

次にメデックバックです。
メデックバックは兵士用、下士官用、士官用があり、基本用はおなじですが、階級が高ければ高いほど高度な医療技術を持つため、外科用手術道具などが追加されます。
メデックはメデックバックを左右に一つずつ持ちますが、それぞれの内容は異なります。


自分が持っているのはこれだけ…(ノ_・,)





包帯とモルヒネの箱。・・・(;´Д`)

あとは、絆創膏だけ…




メデックバックの中身が欲しい…
どこかに無いかな~(゜Д゜≡゜Д゜)?  


2012年12月28日 Posted by カナッペ  at 06:56Comments(0)装備

ムシャクシャしてやった。 後悔はしていない。



こんな格好でM1カービンを(*´∇`*)


本日二回目の更新ですが、

なにがきっかけか忘れましたが、














部屋をキレイに掃除しました♪(*≧∀≦*)













?はい、それだけです…(;´д`)

いや~
あれですよ。
最近、専門学校までの通学に一時間半かかるんで、家に帰るのは寝るためだけなんですよね~

だから、ものが散乱してても良いかな~て♪( ̄∇ ̄*)ゞテヘッ



はい、皆さんには何の関係も無いですよね…( ̄▽ ̄;)


そこで、オペレーション「clean day」を結構!!

3日間にわたる死闘の末。

死体袋5つを出したものの勝利しました!!(・∀・)ノ


こうなりました♪♪ヽ(´▽`)/



え~
これで片付けたの?
て言われるかもしれないけどですね・・・(;´Д`)

頑張ったんですよ~
これからはこの状態ん保てるようにします♪(*≧∀≦*)  
タグ :掃除


2012年12月26日 Posted by カナッペ  at 20:15Comments(0)装備

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プロフィール
カナッペ
カナッペ
 福岡を拠点に〈〈WWII world〉〉を展開しているカナッペです。
WWII装備に興味のある方、やっている方、やろうと思っている方、ぜひ仲良くしましょう♪
人数がそろえば、ヒストリカル的なモノをしようと計画中だったり・・・