翼のために…
さて、今回からしばらくは予告していた通りに 事故満足 マイ装備の紹介をしていきます。
一番初めは空挺からいこうと思います。
てか、空挺から始めます!!
空挺の始まりの、敵戦線後方に重武装の部隊を飛行機から降下させると言う
1930年代に入るとソ連やドイツ、フランス、イタリアで空挺の実験が行われていたにもかかわらず、アメリカが構想を実現しようとしたのは1940年の春、ドイツ空軍のパラシュート部隊とグライダー部隊が機械化師団の進出に先立ってオランダとベルギーの重要防御点わを奪取するという離れ業を成し遂げた後のこと…
※アメリカ陸軍が真剣に降下部隊の創設に動き出したのは1940年5月9日にベルギーとオランダに降下して、圧倒的な勝利をしたドイツ軍の作戦を知ってからです。 ちなみに、この作戦の少し前(4月9日)に、ドイツ軍はデンマーク領ユトランド半島の北端の町、アーホーグに1個中隊の落下傘部隊を降下させてこの町を制圧し、1ヶ月後に迫った大部隊降下の小手調べをしました。
ドイツ軍の空挺部隊の成果に驚いたアメリカ陸軍は、1940年7月1日 フォート・ベニングに最初のパラシュート実験小隊を創設しました。
※パラシュート実験小隊が陸軍省から創設許可を受けたのは1940年6月25日で、隊員募集が始まったのは次の日の26日だった。
朝礼の時に隊員募集を発表すると、2時間以内で約200人の応募者が集まるという…(;´д`)
その中から士官が2名、下士官と兵が47人で、合計49人が選ばれて、今では世界に冠たるアメリカ合衆国陸軍落下傘部隊の第一歩を踏み出した。隊員の多くは、第4師団の隷下部隊から独立して補充および教育団として、ジョージア州のベニング基地にあった歩兵教練部隊に配属されていた独立歩兵第29連隊の隊員達であった。
隊員は2ヶ月以上の軍隊経験者で体重は84キロ以下、また、独身で身体強固な軍人達だったようだ。
49人の部隊編成は当時の正規歩兵小隊の士官1人、下士官を含んだ兵39人に不慮の事故等による隊員欠如を配慮して、小隊に9人の隊員を上乗せしていた。
小隊は第29歩兵連隊の志願者48名で編成され、同じ月の29日には、最初の集団降下を行った。ここからアメリカ陸軍のエリート部隊である、エアボーン(空挺部隊) が誕生したのだった。
(空挺部隊の名称はグライダー部隊にも与えられた。)
最初に、編成されされた大規模な部隊は、第501パラシュート大隊(1940年10月1日 創設) で、第82と第101空挺師団は書類上では1942年8月15日に誕生している。
1942年11月の「トーチ作戦」 のさなかに、第509パラシュート歩兵連隊第2大隊がフランス領の北アフリカに最初の戦闘降下を敢行した。
ちなみに、降下したのは第2大隊のD、E、F中隊および管理中隊だった。C-47型輸送機39機に分乗した。
1943年7月には、第82空挺師団の一部と、第509連隊第2大隊 がシチリア進攻作戦「ハスキー作戦」 に参加している。
作戦はどちらも多くの犠牲を出して失敗に終わってしまったが、貴重な教訓を与えてくれた。
そしてノルマンディー上陸作戦「オーバーロード作戦」前夜には、今やイタリア本土での激戦で鍛えられた第82空挺師団と戦闘未経験の第101空挺師団は、共にイギリスにて、ヨーロッパ解放の最初の戦いに重要な役割を果たす日を待ち構えていた。
1944年6月6日、払暁前の暗闇の中、初めてドイツ占領下のフランスに足跡を印した部隊の中に両師団の姿もあった。その後も彼らは大きな損害を被りながらも目覚ましい戦いぶりを見せたのである。
あそこまできっちりWW2装備が揃ってらっしゃるのが羨ましいですね(^-^)
自分もプライベートライアンに影響されて、第二レンジャー大隊の装備をしてます
こちらの方はヒスイベ等もありますので、是非いらっしゃることがありましたらよろしくお願い致します(^-^)