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Posted by ミリタリーブログ  at 

速報!!



え~と、26日のスクラップさん主催のサバゲーですがスクラップリーダーの用事により ...






中止icon10























ですが









長老の杜にて、
臨時GOGOサバゲーを開催するそうですicon12

初回参加者無料も今回で今年ラストだそうですので、興味のある方は、この機会にぜひぜひどうぞ!!face02icon12

集合場所はナフコ直方店
福岡県直方市大字下境876 - 1
集合時間は9時45分までだそうですので、参加される方は時間厳守で遅れることなく、集合よろしくお願いいたしますねicon23

 あなたの楽しいサバゲlifeをお手伝いする、カナッペのサバゲ情報でしたicon12それではよい週末を~face01

http://gogosvd.militaryblog.jp/e438310.html
主催者のブログのURLです。
  


2013年05月24日 Posted by カナッペ  at 23:57Comments(2)サバゲ

最近、ご無沙汰・・・



最近、ブログの更新がかなりご無沙汰でしたが・・・
ちゃんと生きてますよ!!

更新していない間にいろいろアイテムが増えたりしていましたが、またゆっくり紹介していきます。icon22

今日はこれ!!







米軍装備なのに、なんでこんなものがあるのかって?
戦利品(ヨーロッパ戦線)ですw
戦利品は、ルガーP‐08、ユーゲントナイフ、ナチス旗です。

今さらですが、ルガーはカッコいいですねicon06
手のフィット感、見とれるデザイン・・・とても美しいですねicon12



最近ナチス陸軍を集めようか真剣に悩んでたりと、ナチスの魅力に引かれ気味のカナッペでしたw  


2013年05月19日 Posted by カナッペ  at 23:24Comments(1)装備

金髪+お嬢様キャラは…


今回の画像はマミさん♪(*´∇`*)
画像がマミられてます…

さてさて今回は装備の紹介では無く、今週末参加する焼肉&ばらまき大会 についてです♪

http://chourou.militaryblog.jp/e424904.html

詳しくはこちら♪(*≧∀≦*)
個人的には、WWII装備の方々の参加を強く心待にしていますw

当日はもちろんWWII装備で参加しますよ~♪( ̄∇ ̄*)ゞ  
タグ :マミさん


2013年04月11日 Posted by カナッペ  at 22:39Comments(1)サバゲ

目が覚めると横には...

こんな美少女が居たらいいのになぁ~\(^o^)/
最近、画面の中に入れないかと試行錯誤しているカナッペですw

 さすがワイ華さんいや、五十鈴さんめちゃくちゃカワイイですよね~icon06
 ガルパン最終回を見ました。
TV版を10話で区切った理由ここにあり!!てな感じでした・・・icon22    スタッフの皆さま、本当にお疲れ様です。 2期を期待してますwww
 まさか黒森峰にマウスがあったとは・・・恐るべき最強校...




さあ本日も装備について語りますよ~♪

本日はM-43フィールドジャケット&トラウザーズについてです。
 当時のアメリカ軍は参戦に向けて、一般的な歩兵が着用するフィールドジャケットの他に、空挺部隊、機甲部隊、山岳部隊などの特殊な部隊に合わせて様々な衣料を作っていた。
しかし、戦争が本格化すると供給の問題や、ヨーロッパの気候や地形に素材や色が合わないなどの様々な問題が浮上してきた。

1942年の秋には「the M1943 experimental combat outfit」のテストを開始、フィールドトラウザーズ、サスペンダー、折り畳み式のスコップ、2バックルブーツ、ハイネックウールセーター、ジャングルパックなどを総合的に開発し、その一環として新型フィールドジャケットも開発されていた。この新型ジャケットは、歩兵だけでなく陸軍全軍が支給対象になっていた。兵科別のジャケットは廃止して、統合し、統一することで生産性を向上させ、管理を容易にできるメリットがあった。
 テストグループは4つのグループに分けられ、本土と北アフリカでテストを行いデーターを収集した。フィールドジャケットはマウンテンジャケットをベースに2つのパターンがテストされて、・AAタイプは、マウンテンジャケットのように背中にジッパー式のポケットを持ち、ポンチョやスリーピングバックが収納できた。ベルトには直接ファーストエイドやキャンティーン、バイヨネットを装着できた。またショルダーストラップを持ち、M41フィールドジャケットのようなタブで調節できる袖口だった。大型の腰ポケットは3つの手榴弾が入る容量があったが、ベルトに装備類を装着すると、ポケットは邪魔になった。・BBパターンはより丈が長めのデザインで、ベルトの代わりにM41フィールドジャケットのようなウエストバンドと調節用のボタンがウエストに取り付けられていた。袖口の調節はM-43フィールドジャケットに近いデザインだったが、未完成のため評価は悪かった。どちらも防水防風を意識したコットンポプリンを使用していた。このBBパターンがM-42テストデザインとなってM43フィールドジャケットのベースになったと考えられている。
 同時にテストされていたフィールドトラウザーズは、左右に大型のカーゴポケットを持っていたが、その形状は何度も変更され試行錯誤が繰り返された。
 ちなみに、残りの2つのグループは、従来の装備と衣類をまとった比較グループだった。
 ※「the M1943 experimental combat outfit」は第二次世界大戦中に行われたもっとも重要といえるプロジェクトで、この結果を受け、様々なアイディアがその後のアメリカ軍軍装に生かされていくことになる。

 テストの結果を受けて新型ジャケットには、すべての環境に対応するために重ね着を前提として、大きなカーゴポケットと前立てをもった防寒性・防風性が要求された。テストパターンのBBタイプに改修を加えて、最初のフィールドジャケット(Jacket,Field,M-1943{PQD 1 370})は、43年5月にスペックが付けられている。 M43フィールドジャケットの生地は、頑丈で防水性があるコットンサテンをオリーブドラブで染め上げヨーロッパ地域での迷彩効果を高めている。また大きなポケットが両胸と腰部分に計4つあり、それをフラップで止めている。 胸のパッチポケットはまちがある分、容量は大きくなる。 腰のスリットポケットは、コットン地の内張りが温かい。4ヶ所のポケットで容量は十分確保できているので、日用品を詰め込んでしまえばザック類を背負う必要が無いほどだった。
胸のパッチポケット
腰のスリットポケット

腰回りはローコードで無段階に長さを調節できる。


 衿周りはM41フィールドジャケットの流れを引き継ぎ、衿は開襟でも閉じても、あるいは衿を立てて前たてで閉じれば、外気の侵入をシャットアウトすることができた。未使用時にはボタンで止められる。袖口は二つのボタンで調節でき、温度調節や運動性に優れていた。


大きな特徴は、「重ね着」の考え方が取り入れられていることで、敢えてコットンポプリンのライニングにしたことで、保温性の高いパイルの裏地を持つインナージャケットを別に着込めば広い範囲の温度帯に対応できた。そのためジャケットのサイズは少し大きめに作られている。
既に採用されていたパーカ類では、アウターとシェルの組み合わせで温度変化に対応するシステムは存在していたが、M-43フィールドジャケットはその後の軍隊の衣料そのものを大きく変えてしまうほどのインパクトがあった。また、現在のアウトドア衣料の基本になっているレーヤードの考え方は、この時に完成したといっても過言ではない。
 M-43フィールドジャケットの導入に伴いトラウザーズも同様の「Trousers,field,cotton,OD」(PQD371)を導入しているが、それ以外のウールパンツ(マスタードパンツ)や、HBTパンツを着用している兵士も多い。 合わせて装備類も明るいカーキ色から濃いオリーブドラブに変更されている。 ブーツも2つのバックルで止める(ブーツとレギンスが一体化した)ブーツに変更になり、アメリカ兵のいでたちを変化させた。
 



 M-43フィールドジャケットには、5つのバリエーションと、1つの派生型がある。
 M-43フィールドジャケットは、44年1月のアンツィオ上陸の第三歩兵師団、サンマルコ山攻撃時の第一特殊作戦部隊で実戦使用され、その後数度にわたって改修を受け順次採用が開始されていった。空挺部隊などの特殊部隊から優先的に支給が始まったものの、全軍に行きわたるに時間がかかったようだ。
 一般的に出回っているM-43フィールドジャケットは、初期の改修を受けた370B以降のモデルの可能性が高い。1番最初の43年5月「PQD 1 370」、2番目の「370-A」、以降43年7月「370-B」、43年10月「370-C」、44年2月「370-D」、44年8月「370-E」と変更が加えられていった。レアな物としては、43年9月に指定を受けた「397」は370Aと同型で、M41と同じポプリン製のシェルとウールライトニングを使用していた。 これは余剰にストックしていた素材を消費するために生産された限定モデルで、44年の春までに少量生産されているようだ。
 残念ながら「PQD 1 370」がどんなモデルだったのか明確な資料は無いが、限りなくM42テストデザインに近いディテールを持っていたと考えられる。
衿の裏にはM41フィールドジャケットのようなタブが付いていた。「370-A」は襟裏のタブの位置が低くなり、袖の処理が変更されていて、2種類の長さ(レギュラー・ロング)の13サイズが用意された。「370-B」は襟を閉じるタブの形を前建に変更し、厚みのあるボタンに変更、台形の前建てを使用しないときに止めるボタン1つを省略。襟もとのループの形状変更、サイズを(ショート・レギュラー・ロング)を使う18サイズに変更。
「370-D」は、「How to use」がタグかプリントで明記された。「370-E」では、胸ポケットがより大きく、「How to use」んい図が加えられ、サイズタグが襟もとに付けられた。

M-43トラウザーズ(空挺使用):M42ジャンプトラウザーズのように、空挺は支給されたばかりのトラウザーズにも大きなカーゴポケットを取り付けて使用していた。



 不備があればご指摘お願いします。
指摘をいただいて勉強することもあると思うので。。。


次回はウエポンを紹介していきますね♪

それではまたicon23  


2013年03月28日 Posted by カナッペ  at 02:33Comments(0)装備

なっ、そんなこと///

更新のペースが、更新するたんびに落ちていってるな~と思い始めているカナッペです・・・(;一_一)

「うぽって!!」から


銃だもんね、ふんこは。
だけどふんことこんなことを・・・///
羨ましい!!

この間は、ヘルメットについて書きましたんで、今回はフィールドジャケット&パンツについて書きますね♪

 以前紹介したように、40年代に初めての実験小隊が誕生し、アメリカ軍初の空挺部隊となった第82空挺師団(オールアメリカン)が1943年3月に誕生した。以降陸軍は、第101空挺師団(スクリーミングイーグル)1942年8月、第11空挺師団(エンジェル)1943年2月、第17空挺師団(ゴールデンタロン)1943年4月、第13空挺師団(ユニコーン)1943年8月と4つの空挺師団を誕生させたのです。
既に、ドイツ軍は空挺部隊による輝かしい戦果を得ていて、イギリス軍も41年に第1空挺師団が設立されてた中、アメリカの空挺師団の構想が遅れていた原因は以前書いたので、割愛♥
そんな空挺師団構想が少しずつ進む中で、空挺部隊のための特別な服装(ジャケット、パンツ)も考案されていました。
当初、訓練で使用していたワンピースからヒントを得たとか、陸軍航空整備員着用のカヴァーオールからヒントをえたとかでジャンプスーツ型の戦闘服が考案されましたが、訓練で使用されただけにとどまってしまい、実戦で使用された記録は見当たりません...ちなみに、フロントジッパーで開閉ができるシルク製のワンピースで、防水性&防風性を持たせて、斜めに付いた胸ポケットや腰、大腿部分など、随所にポケットが設けられていました。


[Cort Parachute Jumper,M1941]の参考写真です。↑
 41年、第501パラシュート歩兵連隊のヤーボロウ大尉(※本名:ウイリアム・P・ヤーボロー。空挺章やジャンプジャケットのデザインは、彼によるものである。戦後に設立した特殊部隊訓練センターの初代司令官で、陸軍中将で1971年に退役した。ちなみに、降下記章のデザインは陸軍の紋章局で作られていたが、戦闘部隊として初名乗りを上げた第501大隊の隊長ウィリアム・W・マイリー少佐は紋章局のデザインが気に食わなかったので、部下のヤーボロー中尉(当時)に降下記章のデザインの作成を命令する。出来上がったデザインは落下傘の主傘を囲むような感じを抱かせる力強い雄鷲の両翼だった。デザインを気に入った隊長は紋章局に直ちに350個の降下記章を作らせたというwww)はジャンプスーツ型を進化させ、コットン生地を使用した2ピースの[Cort Parachute Jumper,M1941]をデザインしました。4つの大きなパッチポケットが特徴で、胸ポケットは物が取り出しやすいように斜めに取り付けられています。どのポケットにも斜めにカットされたフラップが付いており、1つのドットボタンで止められるようになっています。フロントは3/4程の長さのジッパーで閉じられ、同素材で、左右のカーゴポケットは大きめのフラップで閉じられました。ただし、こちらはドットボタンが2つ使用されました。裾の部分はブーツが履きやすいように先端部分が細くなっていて、ジッパーで開閉できるようになっています。
使いにくいであろうパッチポケットや不自然な形状のフラップ、脇腹部分まで縫いこまれた布製のベルトに調整できないドットボタンなどかなりなぞな部分が多いジャケットで、全体的に未完成と感じ取れる箇所があり、テストサンプル的な物だと思います。

そんなこんながありまして、ついに完成しました!!

正式名称:
ジャケット「Cort Parachute Jumper(PQD 114)」    
パンツ「Trousers Parachute Jumper(PQD  113)
一般的には、「M42ジャンプジャケット」や「エアボーンジャケット」、「パラトルーパージャケット」って呼ばれてますね。
空挺好きなら誰でも知ってるこのなじみの深いM42ジャケットですが、初期のジャンプジャケットと区別するためにM‐42と呼ばれていたみたいです。
 降下の邪魔にならないようにシルエットはスリムにできていて、フロントジッパーで開閉でき、背中の部分には、動きやすいように大きなプリーツが3カ所入っています。上半身に比べるとタイトなウエスト部分は、同素材のベルトで形式的に縮められるようにデザインされていますが、切り取られているケースが多いです。
 斜めにカットされたプリーツの付いた4つの大容量ポケットはドットボタンで閉じられて、収納量に応じてフラップを留める位置が調節できるようにドットボタンの凸側が2列に配置されています。 フロントの襟元の部分には隠しポケットが作られ、M2ナイフが収納されるようになっています。このナイフはパラシュートが木に引っかかった際に、サスペンションラインを切りやすいようにボタン1つでブレードが飛び出すスイッチブレードタイプになっています。
 素材はコットン生地で、染色の違いからかグリーンがかったカーキと、イエローがかったカーキが見られます。 また製造年やメーカーの小さな差異としては、脇の下のベントホールには、金具グロメットのタイプと糸でかがったタイプがある他、ドットボタンの素材やジッパーベルトのバックルにもバリエ―ションが存在します。
 トラウザーズは余裕のあるシュルエットに、大型のカーゴポケットが左右の大腿部分に付けられ、左右とヒップ、ウォッチポケットの計5カ所にポケットがあります。 裾はジャンプブーツにたくし込んで着用するために先端が絞り込んであります。 初期のモデルは、裾に三角形のゴムが付いていて足首をフィットさせていました。(量産段階になると省略された)
 空挺部隊の隊員は、実戦降下の際には大量の弾薬や衣料品、食料、日用品、衣料品などをポケットに詰め込んで行動しなければなりません。 その重量のために輸送機に乗り込む際に自分の力だけではタラップを登れなかったほどです... ポケットいっぱいに詰め込んで戦う様は「バギーパンツを履いた悪魔」と敵のドイツ兵から呼ばれ、恐れられていました。
 ところが何度かの実戦で、ジャンプジャケットの弱点が明らかになりました。生地が弱く肘や膝などがすぐに擦り切れてしまい、ポケットがその重量に耐えられきれずに破損してしまうことでした。(パスファインダーチームの編成で呼び寄せられた、実戦経験のある第504連隊の隊員達が伝えたのかもしれない。)空挺隊員のジャケットとトラウザーズは回収され、モディファイ(改修作業)が行われました。 その概要は、ジャケットには肘あてと腰のポケットの外周への補強、トラウザーズには同じくカーゴポケットの補強と膝当て、カーゴポケットを抑えるストラップが追加されました。 使われた素材は、目の粗いキャンバス地で湿り気があり、(1説では防水加工が施された素材(航空隊の酸素ボンベのカバーの素材))が使われたといわれています。 推測の域を出ないが、基地の倉庫にこの素材が大量にあったのだろう。
 モディファイは大まかな点で両師団とも共通だが、比較してみると僅かながら差が見られます。第82空挺師団のタイプはストラップも同じ素材で作られているのに対して、第101空挺師団のタイプは装備品のベルトを流用しています。
 強度の問題は一例にすぎませんが、防水性、防寒性、素材、色など、実戦を経験することでM‐42ジャンプジャケットの問題点が浮き彫りにされて、他の衣料と合わせて新型のフィールドジャケットの必要性は高まっていったのでしょう。 こうしてD-Day直前に、南フランスでの空挺作戦に使用されたのを最後に回収され、新型のM‐43フィールドジャケットに変わっていくのです。



自分のM42ジャンプジャケットすべて第101空挺師団使用(気がつけば4着…)








このタイプがモディファイされる前のタイプです。
肩には手書きで階級(四等特技兵(軍曹より下、伍長より上に相当する階級))を書いています。SESSLER MFG製




こちらもモディファイされる前のタイプで、迷彩っぽくしています。ヒューストン製
(当時はガスを探知すると色の変わる薬剤の入った塗料を使っていましたが、そんなものはないのでそれっぽい色のスプレイで代用)




これがモディファイ後のタイプです。
あらためて見ると、主にこれをサバ下などで使っているので汚れや色落ちが激しいですね(-_-;)




こちらもモディファイ後のタイプです。   S&Graf製
肩には追加のポケットが付いています。



 ※記事に書いてあることについて、不備などございましたらご遠慮なく書き込んでください。 m(__)m  


2013年03月13日 Posted by カナッペ  at 06:39Comments(2)装備

やべえぇ~膨らんできた///

最近、春休みに入って生活リズムが狂い始めて、少しずつお腹周りお肉が付いてきているカナッペです。
今回から空挺装備について書いていきます。


まずはヘルメットから♪


トンプソン先生♥ ///

ギリギリおKだよね...

それではスタート!!(^^)v


 1941年4月、陸軍は空挺用のヘルメットの配備を構想し、テスト段階にあったTS3ヘルメット(後のM1ヘルメット)をベースに空挺用に改良を加えたヘルメットセットを最初の試作品としています。ジョージア州のフォートベニングでは、この試作品の完成に至るまでさまざまな空挺用にするテストがTS3ヘルメットを用いて行われました。
そのテストの結果、スタンダードなヘルメットは空挺が降下動作に入ったときや、降下時に体が逆になったとき、またパラシュートが開いたときに脱げ落ちてしまう事があり、(ライナー・シェルが分離しやすいということもあり・・・)空挺用には不向きであると結論づけられてしまいました。これらの問題を改善するために、クオーターマスターコープスの研究開発部門は、他部門及び、民間メーカーと共にM1ヘルメットを空挺使用にするために、必要とされる改良の研究に取り組みました。

 研究の成果あって、空挺によって採用された改良後のM1ヘルメットは、スチールシェル(外帽)のチンストラップループにボタン付きのチンストラップ(ウェブチンストラップ)が取り付けられ、ライナーに付加されたボタンとの連結によって、ライナーとシェルが降下中に外れない程度の固定性を実現しました。またライナーには、バックル付のカーキコットンウェブ(Aストラップ)も付けられ、(裏地の付いた)セーム革で生造されたチンカップとの連結により、着用者への固定性能をも高めました。

ウェブチンストラップ(ライナーとシェルを止めるボタンが付いています。)

カーキコットンウェブ(Aストラップ)


チンカップ 表




M2ヘルメット
 
 1942年1月に最初の発注がなされた、このヘルメットは、1942年6月にM2という呼称が与えられました。M2ヘルメットの仕様書には、スタンダードループの代わりにDベイルチンストラップループを使うことが記述されています。このループの使用により
ウェブチンストラップをシェルの後部で固定することが簡単になりました。後の43年春から夏ごろにエアボーンコマンドコープスは、スタンダードループでも充分に使用に耐えれる事が分かり、もはやDベイルチンストラップループは必要ないと宣言しました。同年10月には、スタンダードM1ヘルメットと同様にスイベルベイルチンストラップループに変更されました。

Dベイルチンストラップループバージョン


スイベルベイルチンストラップループバージョン



M1Cヘルメット

 1945年1月、これまでの空挺用ヘルメットの集大成とも言える、M1C(空挺ヘルメット)が陸軍によって標準化され、同年8月までの間に米陸軍は、392,000個のM1Cを調達しています。
M1Cの特徴は、AストラップがODシェード7になり、鋳型のバックルが用いられ、シェルのウェブチンストラップもODシェード7となった点、そしてシェルの「フチ」がマンガンスチールに変更された点です。

「フチ」を正面真ん中でとめ合わせたフロントシーム


・ヘルメットシェル(外帽)とヘルメットライナー(内帽)の生産について~

 1942年1月~1944年12月までの間に、およそ148,000のスタンダードヘルメットシェルがマッコードラジエターアンドマニファクチャリングカンパニーの在庫から空挺使用にするために分けられて、同社によって空挺仕様へと改良がなされました。 空挺用ヘルメットライナーも同様に在庫品を空挺用に改良したものをM1パラシューティストヘルメットライナーと呼称した。1942年1月~同年秋までの間、ハウレイプロダクツ社製のファイバー(ペーパー)ライナーが43,000個、またインランドマニファクチャリングデビジョン製のプラスティックライナーが75000個、同じく1942年秋のうちに、どちらもマッコードラジエター社によって空挺仕様に改良されました。1943年9月~1944年春までの間、ウエスティングハウス社によって、製造及び改良されたプラスチックライナーが供給されM1パラシューティストヘルメットライナーの最終生産ロッドが完了した。また、このロッドの終盤においてセーム革製のチンカップは、生産コストの引き下げを目的としてウェブチンカップに変更されており、およそ40,000個が製造されました。

パラシューティストヘルメットライナーとシェル(シェルの側面にはスペード♠のマークを付けていて、これは506連帯を表します。)


M2とM1Cの比較(前)...見た目では違いが分かりません。(-_-;)


(後ろ)右側のヘルメットには、下士官のマーキングを施しています。


ライナーの内側


※ネット上の情報を自分なりに書いただけなので、どこかで見たことがあると思いますが、生温かい目で見守ってください。  


2013年03月05日 Posted by カナッペ  at 01:54Comments(0)装備

翼のために…



さて、今回からしばらくは予告していた通りに 事故満足 マイ装備の紹介をしていきます。


一番初めは空挺からいこうと思います。
てか、空挺から始めます!!




空挺の始まりの、敵戦線後方に重武装の部隊を飛行機から降下させると言うある意味素晴らしい構想は、1918年10月にビリー・ミッチエル大佐によって初めて真剣に提唱されました。(まぁそんな彼も、航空機の将来性を信じ、陸軍准将の時に、陸海上層部に独立した空軍の創設時を説き、挙げ句の果てには陸海幕僚を無能者や、反逆者呼ばわりし、クーリッジ大統領の直命で軍法会議に付され5年間の軍無停止になってしまったみたいです…( ̄▽ ̄;))
1930年代に入るとソ連やドイツ、フランス、イタリアで空挺の実験が行われていたにもかかわらず、アメリカが構想を実現しようとしたのは1940年の春、ドイツ空軍のパラシュート部隊とグライダー部隊が機械化師団の進出に先立ってオランダとベルギーの重要防御点わを奪取するという離れ業を成し遂げた後のこと…

※アメリカ陸軍が真剣に降下部隊の創設に動き出したのは1940年5月9日にベルギーとオランダに降下して、圧倒的な勝利をしたドイツ軍の作戦を知ってからです。 ちなみに、この作戦の少し前(4月9日)に、ドイツ軍はデンマーク領ユトランド半島の北端の町、アーホーグに1個中隊の落下傘部隊を降下させてこの町を制圧し、1ヶ月後に迫った大部隊降下の小手調べをしました。

ドイツ軍の空挺部隊の成果に驚いたアメリカ陸軍は、1940年7月1日 フォート・ベニングに最初のパラシュート実験小隊を創設しました。

※パラシュート実験小隊が陸軍省から創設許可を受けたのは1940年6月25日で、隊員募集が始まったのは次の日の26日だった。
朝礼の時に隊員募集を発表すると、2時間以内で約200人の応募者が集まるという…(;´д`)
その中から士官が2名、下士官と兵が47人で、合計49人が選ばれて、今では世界に冠たるアメリカ合衆国陸軍落下傘部隊の第一歩を踏み出した。隊員の多くは、第4師団の隷下部隊から独立して補充および教育団として、ジョージア州のベニング基地にあった歩兵教練部隊に配属されていた独立歩兵第29連隊の隊員達であった。
隊員は2ヶ月以上の軍隊経験者で体重は84キロ以下、また、独身で身体強固な軍人達だったようだ。
49人の部隊編成は当時の正規歩兵小隊の士官1人、下士官を含んだ兵39人に不慮の事故等による隊員欠如を配慮して、小隊に9人の隊員を上乗せしていた。
小隊は第29歩兵連隊の志願者48名で編成され、同じ月の29日には、最初の集団降下を行った。ここからアメリカ陸軍のエリート部隊である、エアボーン(空挺部隊) が誕生したのだった。
(空挺部隊の名称はグライダー部隊にも与えられた。)
最初に、編成されされた大規模な部隊は、第501パラシュート大隊(1940年10月1日 創設) で、第82と第101空挺師団は書類上では1942年8月15日に誕生している。













1942年11月の「トーチ作戦」 のさなかに、第509パラシュート歩兵連隊第2大隊がフランス領の北アフリカに最初の戦闘降下を敢行した。
ちなみに、降下したのは第2大隊のD、E、F中隊および管理中隊だった。C-47型輸送機39機に分乗した。
1943年7月には、第82空挺師団の一部と、第509連隊第2大隊 がシチリア進攻作戦「ハスキー作戦」 に参加している。

作戦はどちらも多くの犠牲を出して失敗に終わってしまったが、貴重な教訓を与えてくれた。
そしてノルマンディー上陸作戦「オーバーロード作戦」前夜には、今やイタリア本土での激戦で鍛えられた第82空挺師団と戦闘未経験の第101空挺師団は、共にイギリスにて、ヨーロッパ解放の最初の戦いに重要な役割を果たす日を待ち構えていた。
1944年6月6日、払暁前の暗闇の中、初めてドイツ占領下のフランスに足跡を印した部隊の中に両師団の姿もあった。その後も彼らは大きな損害を被りながらも目覚ましい戦いぶりを見せたのである。  » 続きを読む


2013年02月14日 Posted by カナッペ  at 02:13Comments(1)装備

…(;´д`)

まず始めに、
久しぶりの更新だあああぁあぁぁぁ~!!!!!

( ゜Д゜)







(つД⊂)ゴシゴシ







(;゜Д゜)










(つД⊂)ゴシゴシ











(;゜Д゜)









(つД⊂)ゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシ…








( Д )












(; Д ) !?




観覧数が5000を越えたら更新しようと思って、思っていただけで越えてもなにもせず、1月最後の日になって更新しました。


言い訳としては、最近学校が忙しくてなかなか更新できる時間が無くてですね…

これからまたちょくちょく更新していきますんで、今後ともどうぞよろしくお願いします。

これからしばらくは 自分のWWⅡ 101空挺装備について書いていこうと思っています♪

頭から書くか、足から書くか…
どっちからが良いですか?( ̄▽ ̄;)


完全に別件ですが最近、九州でWWⅡのヒストリカルサバゲ(国などはどこでもアリ)をかんがえたりしてます。 ←結構真面目に…


ただ、九州にどれぐらいのWWⅡ好きが居るかどうか?ですよね~
実際、十人に満たない人数でフィールド貸し切りはいろいろなめんでキツイだろうし…





  


2013年01月31日 Posted by カナッペ  at 03:56Comments(2)装備

2013年 ~撃ち初めサバゲ~

今週で冬休みが終わる…

考えるだけで憂鬱のカナッペです。(;´д`)ゞ!



1月6日に「長老の杜」にて、今年初めてのサバゲがありました。

忙しくて、なかなか更新ができなくて…(;´д`)




メインウエポンはトンプソンと、スプリングフィールドM1903A4でした♪(*≧∀≦*)

ほとんどトンプソンを使ってましたがw






戦果はそこまで良くはなかったです…(;´д`)

最後の方は、サバゲをそっちのけで穴堀りもとい、たこつぼ掘りをしていましたwww

今後はサバゲで機関銃の運用を~♪( ̄∇ ̄*)ゞ
なんて考えてます。


January 6, 2013 Photo






第101空挺師団506連隊第2大隊E中隊装備
ノルマンディー上陸作戦   


2013年01月11日 Posted by カナッペ  at 22:33Comments(0)サバゲ

AIRBORNE!!

軍が最も頼りにしているのは?
AIRBORNE!

女達が最も愛するのは?
AIRBORNE!

ナチが最も恐れるのは?
AIRBORNE!!





明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。(・∀・)ノ
↑今年は蛇年なので…( ̄▽ ̄;)


明日は「長老の杜」で今年初のサバゲだ~♪ヽ(´▽`)/
ちなみに、AIRBORNE装備で現地に降下します♪
予定では、現地で空挺隊員と合流します。←上手く降下できるだろうか…( ̄▽ ̄;)

今年の目標は、「一人でも多くの同士を見つけ出すこと。」です。(;´д`)ゞ!

多分、九州には、まだまだ沢山の同士が居るはずなんです!!
その人と交流を持つことが、今年の最大目標です。



さて、話しはそれましたが、明日は今日はサバゲを楽しんで来ます♪(*≧∀≦*)
ではまた(・∀・)ノ
  


2013年01月06日 Posted by カナッペ  at 05:43Comments(0)サバゲ

畜生、なんで俺が!!

なんで、雨男なんだ!!
と思っているカナッペです。(;´д`)ゞ!



ポテトマッシュで、マッシュポテト作り~♪(*⌒3⌒*)

…(◎-◎;)





本日は、直方のフィールド「長老の森」にお邪魔しました♪(*≧∀≦*)

あいにくの雨にも関わらず、沢山の参加者が…(@ ̄□ ̄@;)!!

雨の中でなサバゲはかなり楽しいですね!!
雨音足音や、ブッシュを掻き分ける音が聞こえづらいのでかなり狩れます♪
普段は、音でバレて撃たれてまくりますが、今日はそれがなかったんですよ~( ̄∇ ̄*)ゞ


実はそのフィールドは果樹園の跡地なんで、放置された木々が重なりあって狭いトンネル状になっているんですよ。
そこは戦略的には重要で、そこをとられると、通って裏から攻められるんですよ…( ̄▽ ̄;)
なので雨が降る中、伏せて待ち伏せ♪
トンネルの中は、高さが1メートルも無くて中腰だと視界が悪いんで、なかなかばれませんw
皆さんは大体の人が中腰で入って来るので、美味しくいただきます♪(・∀・)ノ
1ゲームで4キル獲ることも~♪ヽ(´▽`)/

まあ、こんな感じで今日も楽しく遊ばせていただきました。
参加された皆様、お疲れ様ですm(__)m


セーフティーのテント…
なんか救護所みたいw
とずっと思ってました♪

サバゲ終了後で士気がかなり下がってます。














December 30, 2012


敵の主力部隊の動きを探るために、偵察部隊を編成。

敵の待ち伏せ攻撃にあい、部隊長を残して全滅…

敵に対して反撃。




敵の攻撃が弱くなったの撤退。






途中に、小屋を発見。

周囲の安全を確認後、小屋を確認。

小屋の安全を確認するために、カギを壊して小屋に突入!!

小屋に突入するも、異常な箇所がなかったのでそのまま本部へ後退。







以上で今年最後のブログにいたします。
皆さん良いお年を♪(・∀・)ノシ  


2012年12月31日 Posted by カナッペ  at 01:34Comments(0)サバゲ

作戦前夜

明日は久しぶりのサバゲだ~!!(*≧∀≦*)

実はここ最近行けなくて、かなりウズウズしていましたw ( ̄∇ ̄*)ゞ

明日は思う存分、戦える♪ヽ(´▽`)/
そんなことを思ってりカナッペです。


明日は、まだまだ未完成ですが…
WW2 日系部隊の100大隊装備で戦場に向かいます。

なぜ未完成の装備で?完成してからで良いじゃん(゜Д゜≡゜Д゜)?
と思われるかもしれませんが、それなりに理由があるんです…(ノ_・,)

まずは海兵隊装備ですが、この季節はまだ寒い!!※ナム戦装備も右に同じ。

101空挺師団装備は、M42パラトルーパー上下な三着あるんですが、
一着は特技兵の階級章をかいてるし、一着はまだパッチを縫い付けてないし、一着はジッパーが壊れたまんまだし…
M43は、二着ありますご、一着は特技兵用、もう一着はまだパッチを縫い付けてません。

100大隊は全て揃ってる♪
なら、明日はこの装備じゃんw

てな感じで決めました。
かなり適当ですみません(;>_<;)

ちなみに、空挺装備の一部を戦友に貸したままなんで、どのみち空挺装備はできませんでしたが…

てなわけで、
明日は…いや、もう今日かw
今日は、100大隊、階級は三等軍曹、ウエポンはトンプソンで行きます。

ではまた(・∀・)ノ



ちなみにですが、34歩兵師団のマークをヘルメットに書こうと思うんですが、どれくらいの大きさで書いて良いか解りません…

誰か教えていただければ嬉しいです。(;´д`)ゞ!  


2012年12月30日 Posted by カナッペ  at 04:45Comments(0)サバゲ

戦場で困った時の…

「Medic!!
Come over here soon!」


「OK!
Now, I go to over there!! 」





はい!
そんな訳で、←どんな訳だよ…( ̄▽ ̄;)
今回は[メデック 装備]を紹介します♪

と、言っても形だけなんですけどね~f(^_^;
まだ小物が揃ってなくて、完成とは言えません。


とりあえず写真


前向き

後ろ向き

自分のメデック装備の内容:
・M1 ヘルメット

・メデック腕章

・メデックポーチ ×2

・メデックサスペンダー

・キャティーンポーチ ×2

・キャティーン ×2

・ファーストエイドポーチ

こんな感じでしょうか?
表記間違いがありましたら、すみません(;>_<;)

M1ヘルメットのマークは皆さんご存知、衛生兵特有の赤十字マーク♪
自分はヘルメットの前方、後方、左右にマークを書きました。
なるべく撃たれたくないんで…( ̄▽ ̄;)
とはいっても、サバゲではジュネーブ条件は、もちろん適用されませんw
なので、武器を持っていようがいまいが(サバゲで持って無いのはおかしいですが…)確実に撃たれます( ̄▽ ̄;)

だから、サバゲ中のフィールドに入っての写真撮影の時に使ってます♪( ̄∇ ̄*)ゞ
分かりやすいので、あまり誤射はされません。
万が一撃たれても、「畜生、メデックを撃つなんて、条件違反だ!!ι(`ロ´)ノ」と言って、存在アピールw

話しがそれてしまいましたが、本来ヘルメットにペイントするのは、自分がメデックであることを敵国の兵士にもわかるようにするためです。
そのために目立つ赤十字マークをヘルメットにペイントさしりり、腕章を着けたりしていました。
当時の写真で、両方の腕に腕章をつけているものも見たことがありますね。
また、ヘルメットのペイントは様々で、ペイントを前後だけにしたり、左右だけにしたり、自分の様に前後左右にしているものも存在します。
赤十字マークも、自分の様な<白丸に赤十字>のよく見るタイプや、<白い四角に赤十字>のタイプ、<赤十字を白で縁取り>したタイプ、<白い八角形に赤十字>のタイプなど様々です。ヘルメットにネットを被せているメデックは時々、ヘルメットにはペイントせず、紙などの白地に赤十字マークを書いて、ヘルメットとネットの間に挟んでいたりもしました。
そういえば、戦争初期はまだ、マークの大きさ、形などが決められていなかった様な…(;´д`)

いまさらですが、メデックについて少し話しておきますね♪
メデックとは、負傷した兵士の看護、治療にあたる兵士です。
ついでにジュネーブ条件も…
ジュネーブ条件は、ジュネーブで、1929年に結ばれた国際的「傷病兵保護条件」のことで、
・自己防衛、患者の保護目的意外の武器の携帯禁止。
・敵国に属する衛生兵でも攻撃は禁止。
・傷病兵の看護、治療意外の戦闘行動の禁止。
などが規定されています。
なので、メデックはどんな状況でも武器を手に取らないんです。いや、取れないんです・・・(;´Д`)
(赤十字マークもメデックの国際的な認識マークなんです。)

次にメデックバックです。
メデックバックは兵士用、下士官用、士官用があり、基本用はおなじですが、階級が高ければ高いほど高度な医療技術を持つため、外科用手術道具などが追加されます。
メデックはメデックバックを左右に一つずつ持ちますが、それぞれの内容は異なります。


自分が持っているのはこれだけ…(ノ_・,)





包帯とモルヒネの箱。・・・(;´Д`)

あとは、絆創膏だけ…




メデックバックの中身が欲しい…
どこかに無いかな~(゜Д゜≡゜Д゜)?  


2012年12月28日 Posted by カナッペ  at 06:56Comments(0)装備

ムシャクシャしてやった。 後悔はしていない。



こんな格好でM1カービンを(*´∇`*)


本日二回目の更新ですが、

なにがきっかけか忘れましたが、














部屋をキレイに掃除しました♪(*≧∀≦*)













?はい、それだけです…(;´д`)

いや~
あれですよ。
最近、専門学校までの通学に一時間半かかるんで、家に帰るのは寝るためだけなんですよね~

だから、ものが散乱してても良いかな~て♪( ̄∇ ̄*)ゞテヘッ



はい、皆さんには何の関係も無いですよね…( ̄▽ ̄;)


そこで、オペレーション「clean day」を結構!!

3日間にわたる死闘の末。

死体袋5つを出したものの勝利しました!!(・∀・)ノ


こうなりました♪♪ヽ(´▽`)/



え~
これで片付けたの?
て言われるかもしれないけどですね・・・(;´Д`)

頑張ったんですよ~
これからはこの状態ん保てるようにします♪(*≧∀≦*)  
タグ :掃除


2012年12月26日 Posted by カナッペ  at 20:15Comments(0)装備

緊急召集!! (ブリーフィング)

集えWW2米軍の同士よ!!

勇猛果敢な戦士達よ!!
わが忠勇なる米軍兵士たちよ!!いまやナ○スド○ツのほぼ半数が我々によっ て地球上から消えた!!この事実こそアメリカ軍 の正義の証である!!決定的打撃を受けたナ○スド○ツにいかほどの戦力が残っていようとそれは既 に形骸である!!敢えて言おう!カスである と!!それら軟弱の団体がこの戦線を抜くことはできない!!あまねく人類は知るこ とになるだろう!!我等米軍の摂理に選ばれた優 良種たるアメリカ軍に導かれてのみはじめて 生きのびることを!!無能で愚かなるナチの輩を 全て殺し尽くすまで戦う必要はない。必要なのは あと一撃である!!それで我々は勝利する!!こ の戦いで我々は完全で最終的な勝利を手にするこ とができるのだ!!奮闘せよ諸君!!


はいはーい♪(*≧∀≦*)
久しぶりに更新するカナッペです。


最近、なにかと忙しくて、なかなか更新できませんでした…(ノ_・,)




さて、本題ですが、
来るべき次作戦(サバゲ)について報告!!(・∀・)ノ

・Sunday, December 30, 1012

・ポイント 福岡県直方市

なお、作戦時間 等の詳細は作戦参加者のみに通達する。

一人でも多くの同士の参加を期待する。

以上。  


2012年12月26日 Posted by カナッペ  at 03:31Comments(1)サバゲ

いまさら言われても…ね?(;´д`)

ブログの更新を深夜にしかしてないな~♪と感じてるカナッペです。

…何ででしょうね?
気がつけば深夜に書き始めてるんですよね~
┐('~`;)┌

別に不眠症とかでは無いです!!
更新後にガッツリ寝てます!!(・∀・)ノ

この絵が気に入ったので、ネットから引っ張って来ました( 〃▽〃)
ガーランドのクリップ排出時の音がたまりません(*´ー`*)
ヘルメットに書いてあるマークの名前なんだったけ?…キルトルだったような~(´。`)・・

前向きはこのくらいに、ここからが本題です!!よね?

1ヶ月前になりますが、11月4日からフランスのパリに一週程度行ってました。








パリを象徴する有名なエッフェル塔です( 〃▽〃)※建物の説明は長くなるので割愛しますw
観光客でなかなか良い写真が撮れませんでした…(ノ_・,)

お次はシャンゼリゼ大通りにある…

凱旋門♪(*≧∀≦*)
登りはしませんでしたが、(お値段がちょっと…)立派でしたね~
彫刻も美しかったです( 〃▽〃)


これが凱旋門です。
遠目ですみません・・・(;´Д`)


これがノートルダム寺院。
外壁の彫刻や建物内のステンドグラス、内装が素晴らしかったです。日本の神社やお寺とは違った雰囲気で新鮮でした。
雰囲気は教会の方が好きですね~なんと言うか、落ち着きます( ̄ー ̄)















後ろ姿がセクシーな彫刻は、ルーヴル美術館ミロのヴィーナスです。

前から見てもセクシー♪(*≧∀≦*)

NIKEの元の

サモトラケのニケです

民衆を導く自由の女神

ナポレオン一世の…漢字が解らん(;つД`)
誰か教えて~

有名な絵がいっぱいありました。

!!(゜ロ゜ノ)ノ
はい、説明が雑になりすぎました。
最後の絵がジャンヌダルクです( 〃▽〃)
モナリザはかなり厳重で、二枚ガラスになっていました…(;´д`)

こんな感じでパリの紹介は終わります♪(*≧∀≦*)






















!Σ( ̄□ ̄;)えっ!?
特に落ちは無いです…

もともと今回のパリ訪問は、自分の通う調理師専門学校の行事の一環だったので、なかなか自由時間がなかったんです!

だから、フランスに行っても ノルマンディー地方のオマハ、ユタビーチや、アルデンヌ地方にも行けてません!!
行きたい場所が目の前に有るのに、指をくわえて見てました…!Σ(×_×;)!
貴が狂いそうでしたよ~
何度脱け出そうとしたか…(ノ_・,)

まあこんな感じでパリを後に帰国しましたが、ワインを持てるだけ買って帰りましたwww
戦利品も一応はありますよ♪
洋書ですがね~(´Д`)
  


2012年12月17日 Posted by カナッペ  at 04:03Comments(0)イベント

長引いた…

前回に続き、過去を振り返ります。
どうかお付き合いください(・∀・)ノ

ミク、リン、レン♪
何か違う気がする?気にしない気にしない~♪ヽ(´▽`)/

とある日のサバゲにて…(第2レンジャー大隊)

6 juin 1944.D Day(Battle of Normandy)
前夜に降下した101空挺師団の同士と合流。

辺りを探索。

探索…とっ
「ドイツ兵だ~!!」

150メートル先にドイツ兵の隠れる塹壕を発見。
人数は不明。
すかさず空挺隊員のBAR射手が応戦。 地図を広げて、無線機で本部に増援要請。
「増援要請は不可、現状を維持。」との返答。


敵の抵抗が弱くなったので、3人で塹壕を攻撃。


塹壕制圧完了。
塹壕内に居たドイツ兵1名が降伏、捕らえて捕虜に。

捕虜を本部に輸送中に我々の後方よりドイツ兵の奇襲。


不意を突かれ、捕虜を連れて私の後方を歩いていた空挺隊員2名が戦死。

直ちに応戦するも、奇襲をかけてきたドイツ兵と捕虜を取り逃がしてしまう。

先頭を歩いていた私1人だけが生き延びてしまった…

即興で物語を作ってみました(*≧∀≦*)
雑ですみません…(;´д`)
写真は、今年の春にあったサバゲの合間に撮影しました♪

最近、サバゲよりも写真撮影メインになりつつある今日この頃~┐('~`;)┌  


2012年12月15日 Posted by カナッペ  at 02:33Comments(5)サバゲ

経歴…(;´д`)

過去の写真を紹介して行きますね~♪

誰が見るんだよ…(;´д`)とかは言わないでくださいwww(・∀・)ノ


間違えたwww


とりあえず海兵隊VS日本兵
たまたまゲーム会場に日本兵の方が!!(*≧∀≦*)
その時の一枚です♪



101空挺師団のE中隊の集合写真と、M1919で援護射撃する写真。
自分が福岡で知っている唯一の空挺隊員です…
福岡にはまだまだ空挺の同士が居るはず!!
「空挺隊員の諸君、諸君らはこの戦いを、対岸の火と見過ごしているのではないか? それは罪深いあやまちである。我々は、その愚かしさをナ○スド○ツのエリートどもに教えねばならんのだ! 戦いはこれからである。我々の軍備はますます揃いつつある。ナ○スド○ツとてこのままではあるまい。諸君の父も兄も、ナ○スド○ツの激しい抵抗の前に死んでいったのだ。 この悲しみも怒りも忘れてはならない!我々は今、この怒りを終結し、ナ○スド○ツに叩きつけて初めて真の勝利を得ることができる。この勝利こそ戦死者全ての最大の慰めとなる!
米軍よ! 立て! 悲しみを怒りに変えて! 立てよ米軍! 我々は諸君らの力を欲しているのだ!!」ι(`ロ´)ノ


お察しのとおり、ギレン様の演説のパクりですw
ナ○スド○ツ軍の方。申し訳ございませんでした。m(__)m
ですが、本当に九州に散り散りになっている米軍の皆さん。
是非とも同士に!!


バストーニュ辺りの101空挺師団の設定。
M43ジャケット&パンツですが、ブーツをジャンプブーツにして古参兵を意識してみました♪


サバゲの昼食に作ったメニュー♪
同じ空挺の方にもお分けしたところ、かなり好評でしたよ~♪ヽ(´▽`)/

次回へ…  


2012年12月15日 Posted by カナッペ  at 00:51Comments(0)サバゲ

2012.11.25 ~サバゲ~No.2

少し間が開いてしまいましたが、続きを書きたいと思います。φ(..)カキカキ…




どこまて書いたか忘れましたが、確か昼食だったようなぁ…(;´д`)


午後からのサバゲは、午前中に探し出したライアン本国え連れ帰るというミッションをしました。( ̄ー ̄)
実際には「仲間を置いて、1人だけ帰れない!!」と言われてしまって、一緒に戦うことに…(;´д`)ハァ~
まぁサバゲなんで、普通に考えて戦いますよね~┐('~`;)┌

午後からは、全滅戦+籠城戦がありました。

が、

全ての戦いで、なにもできずに戦死…(((((;゜Д゜)))
午前中は調子が良かったのに~

ライアンが居たから安心感があったのか、はたまた護ろうとはりきり過ぎたのか…・・・(;´Д`)

籠城戦では、ススキと2メートル近くまで延びのひ育った雑草を掻き分けて、籠城する敵まで近づくと自分だけ撃たれるし、ライアンとはぐれてフィールド内を探しまわると敵4人に出くわすし…
午後は死んで死んで死にまくりましたw

一方のライアンはかなりの確率で生き延びて、何人からかキルをとれたみたいです…

次のサバゲでは負けないぞ!!(*≧∀≦*)

戦友のライアン







この日撮っていただいた写真で、一番のお気に入りです



サバゲから時間が経ちすぎて、内容が薄いですがこれで2012.11.25のサバゲレポートを終わります(・∀・)ノシ

サバゲが無いときは、装備を紹介して行こうと思ってます。

  


2012年12月06日 Posted by カナッペ  at 08:11Comments(0)サバゲ

2012.11.25 ~サバゲ~No.1

出撃の時間になったので、サバゲ仲間と一緒にサバゲ会場に移動。

サバゲ会場に向かう時の車両の中では、Black Hawk Dounのサントラが流れています。w
これがモチベーションをかなり上げるんですね~(~▽~@)♪♪♪

会場に着くなり着替えを開始~♪

自分は装備を着用するのに時間がかかるんですよ…(;´д`)
着替え中にネタを考えたり、気持ちを切り替えたりと…



この日はライベン装備なのでBARを使います♪
WWⅡ米軍の銃で、フルオートで射てるのは自分の知る限りでは、BAR、M1919(M1917)、トンプソンだけなんですよ…(;´д`)
(違っていましたら、指摘をよろしくお願いいたします。)
その中でBARは、トンプソンよりもバレルが長く、M1919よりも軽いので持ち運びが楽なんで、好きな銃ですね~♪ヽ(´▽`)/



こんな感じです。
M41フィールドジャケットの背中には、「BROOKLYN NY USA」とは 書いていません!!
肩にも一等兵の階級章をつけていません。
着ているM41フィールドジャケットは当時のものでして…
自分には書く勇気がありません(。´Д⊂)
階級章はそのうちつける予定です♪


サバゲの話からずいぶん脱線しました…
今さらですが、自分のサバゲスタイルを…
サバゲをやっている人それぞれにスタイルはあると思いますが、自分のスタイルはサバゲと言うよりはリエナクトに近い気がします。
ただ撃ち合いをして勝敗を争うのではなくて、何かミッションを何個か作り、それを実行すると言うのが自分のスタイルです。ちなみに、ミッション内容によっては敵を見逃したり…f(^^;
リアル思考?の自分には、普通にサバゲをするよりもかなり充実していますw

午前中のサバゲは、現地で合流したWWⅡ 米軍の同士と同じチームだったので、いや、チームにしていただいたので!!「プライベート・ライアン」ぽく101空挺師団の戦友をライアンに見立てて探しだし、救出する。というミッションを作りやっていました。(ちなみに、戦友はなにも知りません)

結果から言うと3ゲーム中1回しか合流できませんでした(;´д`)ハァ~
フィールドのブッシュが濃いし、広い…
さすがに1人を探すのは厳しいですね~(..)
敵にしか遭遇しませんでしたよ…(。´Д⊂)
探し出した時の嬉しさと、「こんな所に居たのか!?」というイライラがこみ上げて来ましたw
実戦だったらやってられないでしょうね…
自分がやった事の何百倍の広さから探し出さなきゃいけないんですからね~┐('~`;)┌

ちなみに、なにも知らないサバゲ参加者の方が2人ついて来ていましたが、二人とも激しい戦闘で無念の戦死…
「自分のミッションのために犠牲にしてすまない。たが、ライアンは救出できたぞ!!w」と心の中で言いました♪


ここで午前中のゲームが終わったので昼食に♪
昼食はこれ!!




WWⅡの米軍レーションではお馴染みのKレーション!!

食べれるの!?(゜ロ゜ノ)ノと思った方もいらっしゃると思いますが、このKレーションは、復刻版です。
なので、普通に美味しく頂けますw
まあKレーションについては、また今度詳しく紹介いたしますので楽しみにしていてくださいね~( ̄ー ̄)

それではこの辺で。  


2012年12月03日 Posted by カナッペ  at 02:10Comments(0)サバゲ

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プロフィール
カナッペ
カナッペ
 福岡を拠点に〈〈WWII world〉〉を展開しているカナッペです。
WWII装備に興味のある方、やっている方、やろうと思っている方、ぜひ仲良くしましょう♪
人数がそろえば、ヒストリカル的なモノをしようと計画中だったり・・・